タウンミーティングのやらせ
タウンミーティングがやらせだった。当然といえば当然のことが明らかになった。国民の声を聞く振りがしたいだけで。国民を愚弄しているのは、このタウンミーティングのホームページを見ればよく分かる。政府の政策を説明する為の、場作りだ。
行政の手法に、一応、市民国民の声を聞くという段階が、マニュアルの中にある。条例を作る、法律を作る。何かを行政がやるときには、少なくとも聞いた振りをしなくてはならない。そうしたルールがある。ところが、本当に聞いていたら仕事にならないと、行政は考えている。だから、聴いた振りをするという、一ページがシナリオに加わることになった。
これは何処の行政のホームページを開いてもある。今なら、「小田原市国民保護計画の意見募集のお知らせ」こういう形で、意見が募集される。私は農水省のものにはよく意見を出す。小田原市のものにも出す。出したからと言って何かが変わるということは無い。そんな経験は無いのだが、民主主義は根気だと思い、何かしら出し続けている。地域関連のタウンミーティングも出て意見は述べる。だからと言ってどうにかなるとは、正直思っていない。慌ててもしょうがないが、意見が無いから止めるといわれるのも困ると思ってきた。
民主主義の問題だ。行政は市民を甘く見ている。本音では愚弄している。これは常日頃接して感じているところだ。慇懃無礼な態度で、心を閉じていることが良くわかる。「閉じていなければやっちゃいられねぇー。」というのが本音だと思う。仕組みが悪いのだ。市民の声を聞きたくたって。まじめな人は、最初は一生懸命聞く。しかし、聞くのは上からの声だけにしなければ、おかしな奴になってしまうのが、今の行政だ。
「パブリックコメント」大体この馬鹿にしたような言葉で始まった、形式主義がよくない。今のところ、法律にあるので仕方なく行われる仕組みだ。私は第2東名高速道路建設計画に対して、意見を出したのが最初だと思う。作るべきではない、と書いた。まだ、聞いてくれるのかもしれないと、思い込んでいた頃だ。山北町の町長懇談会では、「ゴミ焼却場と、町営水道の取水口が、接近しているのは、問題ではないか。」こう聞いた、なんと「山北の焼却場の灰は畑に撒けるぐらい綺麗だ。」町長の答えだ。こんなレベルだから、担当者はやらせをやらざるえないのだ。
民主主義という方法論が、いよいよ理解されていない。議論をする。批判をする。そうした経過が、民主主義には不可欠だ。批判しあうことで、より高いレベルの達する、という考えが忘れられた。人の話を利かないのは、行政だけでなく、最近の日本人の特徴なのかもしれない。相手の話を聞き理解するということがヘタになった。良い話し合いには、時間がかかる。そんな暇が無いのだ。社会が慌しくて、ゆっくり話すことが出来なくなった。江戸時代の話し合いは、3,4日かかるのを当然と考えて、泊り込みの覚悟だったそうだ。