農業研修施設
農業研修と言うと「スワラジ学園」のことを考える。筧次郎さんの書かれた「百姓入門」に目を開かされたところがあり、筧さんのやられることにはずーと注目をしてきた。スワラジ学園の事は、色々のところで学ぶところがあった。私も私なりの、農業研修施設を作りたいと考えてきた。
いくつか、気付いている事がある。今の時代、有機農業で、大きくやられている方は、特別な能力を持った人だ。例えば福岡さんや、川口さん、のようにカリスマ性が強い。それが現れ方によっては、岡田茂吉さんのように、宗教に変わることも、紙一重と言えると思う。だから、一人の人から農業を学ぶことは、良く無い。学ぶには、学ぶ側が、自由に教える者を選ぶ必要がある。師を求めて、雲水するのがいい。
何処の研修施設に居た人も、当然そこの哲学に強く影響されている。気になるところだ。学ぶ者が、多数、多様な農業者から学べるような仕組みが、作れないか。と言って、農業大学校のような、技術的な指導も、やはり就農に際しては、限界がある。色が少ないのはいいにしても、実際の営農についての力にはなりにくい。
有機農業は簡単な技術ではない。自給レベルでは何とでもなるが、1家族が、20家族以上の食料を生産するとなると、体力的にも、知力的にも、感性の豊かさにおいても、よほど農業向きの能力を持った人以外、出来ないことだ。と言ってもそれは、別に農業だけでなく、どんな職業でも同じで、それ向きの能力が居るのだろう。
開成にある、吉田島農林高校は、創立100年だそうだが、農業者が必要で作った学校だそうだ。足柄平野で、立派な農業者を多数生んでいる。農業者自身が必要で作るような学校がいい。教える事は学ぶ事。自ら学ぶ為に、研修施設を作りたい。農の会の仲間も日に日に技術的進歩はしている。しかし、これでいいということは当然無い。これからと言う面もたくさんある。教えながら共に学ぶようなことは出来ないか。
自給自足の研究を深めてゆきたい。最小限の家を作り、そこに暮し、自給自足を自学できる。そんな場所を作りたい。そして、足柄平野で、立派な農業をされている農家に、手伝いに行きながら、様々なことを感じることが出来るような、仕組みを作りたい。例えば、小屋作りを学びたいなら、実際に何処で作るから出向いてゆく、堆肥を積むからと言えば、出かけてゆく。そんなネットワークを整備することは、農の会では可能になっている。始めて間もない就農者も居る。専業農家として、立派に営農されている顧問の方も居る。
多様に実践している人と、共に働かせてもらいながら、自分の農のあり方を探求する。そんな、研修施設を作りたい。