重要文化財の土偶

   


今日はブログの書入れが遅れた。早朝から、泥窯をやった為だ。初めての経験だった。陶芸家の兼藤さんが指導をしてくれた。ブルーベリーの摘み取り園の夏祭りで、土偶作りをやった。その野焼きを今日行ったのだ。

野焼きと言っても、なかなかなもので、750度ぐらいまで、見事に上がった。朝、6時に窯の制作を始めた。まず、地面にレンガでを隙間を空けながら並べる。1メートル四方だ。その上に金網を引く。そして、おがくずを引く。そして、周辺から薪を並べて行き、一段が終わる。そして、おがくず消し炭、細い枝。と2段に重ねる。高さが、併せて、20センチほどになった所に、23体の土偶を並べた。それが、先日の夏祭りで、みんなが作ったものだ。

間に消し炭を混ぜながら、おがくずを入れ、小山が出来たところで、今度は稲藁で、覆ってゆく、一通り囲んだら、麻紐で結わえてゆく、一塊になったら、いよいよ土塗りだ。田んぼの土と、畑の、畑と言っても相当粘土質の土を半々に混ぜて、良く練ったものを、左官ゴテで塗ってゆく、下のほうは厚めに上の方は少し薄く。全体2センチと言うが、1センチ強というぐらいだった。

全体が塗り終わると、まあるい土饅頭のような、不思議な物体が出来た。頂上に穴を開け、8合目辺りにもぐるっと6つほど2センチほどの長径の穴を開ける。全体は、練ったばかりの土で出来ているので、ぶよぶよな感じで、水が光ったような状態だ。そこまで出来たら、風向きを見て、風の来る方とは反対の辺りに、火口を空ける。消し炭に、火を興して、焚口に置く、これが、9時10分前だった。

ここまでで、2時間30分の作業だ。と言っても土を取りに行ったり、薪を採りに行ったりで、集中すれば、1時間30分の作業だろう。火を入れたら、徐々に火が廻るように、穴の位置を変えたり、火口をふさいだり、微調整を続ける。1時間に100度の温度が上がるようにというのが目標だ。あっとゆうまに時間が過ぎ、2時過ぎに500度ぐらいになる。後はどんどん上げようと、団扇で扇いで、調整してゆく。3時30分で中座したときに、650度ぐらいの感じだった。その後は6時まで、がんがん燃やして、750には成った感じだ。

何とそこで、中が観たくて、熱いまま釜を開いてしまった。それでもひびもいらずに、上手く焼けた。私が9時に戻ったときには、もう冷めていた。10時に窯を開けるといっていたのだが、辛抱堪らず、あけたけど問題なかったということだ。どれもいい出来だった。これから仕上げようと思うが、中々すばらしい。実にいい体験が出来た。陶芸は面白い。野焼きは特に楽しい。

この場所では、重要文化財の縄文後期の土偶が発掘されている。現在、小宮家の金庫に大切に保管されている。同じ場で、同じことをしている喜びがある。この地は関東で、一番最初に稲作が行われた地でもある。それだけ暮らし安い所だ。土偶を作った、人達と一緒の気持ちで、火を一日囲んだ満足感は格別のものだった。

中屋敷遺跡に暮した。多分、小宮家の祖先らしき、後期縄文の人々も、あの窯と殆ど同じ方法で、土器を焼いたに違いありません。その意味では、縄文窯と読んでもいいかもしれません。あの省エネルギーの泥窯で、見事な焼き物が可能だと言うのが、何か、神秘的なまでの喜びが湧いてきました。土も、田んぼや、畑の土でいいというのが、これも驚きでした。近いうちに是非、再挑戦したいものです。

机の上に並んでいる、2つの土偶が、何か自分の骨壷が出来たように安心を感じます。私の骨も、この土偶の中に納まり、足柄の土に成ることでしょう。

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