報徳会の研究発表会
9月2日に小田原市栢山の報徳会館で、報徳会の研究発表会があり、参加した。正式な名称は「新村研究会・融合サロンサマースクール」という。この事務局をされている。伊藤さんは東京の方なのですが、「学園花の村」のことで、小田原で話をしていただいたことがあった。その後、色々の企画の連絡を頂いている。今回は「学園花の村」を運営されている、90歳の宮城さん、藤本さんも見えて話をされるというので、参加させてもらった。
学生の頃の金沢で、二宮金次郎像の破壊で、沖縄の人が逮捕された事件があった。これを、中核派の人達が支援して、大騒ぎになった。この事件を起こした人が、沖縄の人で、自分の人生を考えた時、この像がいけなかったのだと、ふと思い至ったのだそうだ。あり得る事だ。沖縄から金沢に来るまでに、どんな人生があったのか、工事現場を渡り歩いてきたと言う事だった。
仕事の帰りに、持っていた、ハンマーで、一撃した。工事現場で働いていて、その帰りで、荷物にハンマーがあったのが、災いした。これで逮捕された。私の頭の中でも、二宮金次郎の薪を背負った像は、軍国少年のモデルのように感じていた。だから、壊したこの人の気持ちは良く分かった。
もうひとつの記憶は、一円札だ。確か、図案が二宮金次郎だったと思う。私は、勤勉を押し付けられる感じが、嫌いだったので、薪を担いでまで勉強している金次郎と、比較されては、怒られることに反発していた。お金の図案にまでなっていたのだから、GHQも金次郎と言う人を評価していたらしい。どうも薪を背負っているところが、原罪を背負っている、と言うところを連想して、何か受けがよかったと言う説もある。
東大の農業経済の教授で、父が親しくさせていただいたT先生は、我が家に見えると、いつも報徳思想を言われていた。これからの時代、重要になってくると繰り返しいわれていた。私には、どうも薪を背負っている金次郎像に、先入観があり、そのときは何か不思議な感じがした。
足柄に住むようになって20年。農業に関わってきた。どうしても、金次郎から逃れることは出来ない。何か、深く入ろうとすると、金次郎が出てくる。例えば、菜の花抑草農法をやろうとすれば、菜の花を使った尊徳の発想は、やはりすばらしいのだ。これからの農業ではやはり、尊徳の発想ははずすことが出来ない。
ならば、報徳思想の戦争責任の清算は、とことんやるべきだろう。戦争に利用されたとしても、戦争に加担した側面も、私には忘れることは出来ない。この戦争責任問題を、きちっと位置づけない限り、報徳思想が危険思想になりかねないことに変わりは無い。その意味から、金次郎像を小学校に置くようなことは、まともな教育ではない。子供の人格を尊重し、一人ひとりの可能性を育むことに対し。一つの理想像を提示するようなことは、近代教育では有り得ないことだ。
小田原市の議会などでも、尊徳の再評価が話されたりしている。私も農業による、地域の再生という意味では、大賛成だ。しかし、同時に小国民の大量生産が、尊徳を通して又行われるような不安が、してくる。昨日の、報徳会の基調講演では、第二次世界大戦は、日本は諸外国の圧力でやむなく行った。こうしたことが話されていた。
研究発表が10本あり、私は生活・実践グループに参加した。1、部落問題の歴史。2、農業生産法人による、稲作の布マルチ農法。3、神奈川西部地域の寺子屋の成立4、横浜と、徳島を行き来しながらの、ふるさと回帰。5、学園花の村のクラインガルテン法の制定運動
どの話も奥が深く、時間内ではさわりだけだった。中でも寺子屋と自由民権運動や報徳思想との関連に、興味を持った。