里山づくり・里山保全

      2016/08/08

里山づくりの話し合いが29日夜、7時から久野公民館で行われた。参加者は神奈川県、小田原市、行政から、11名、住民が16名だった。9時過ぎまで、話し合いがあったが、私は少し発言をしすぎて、家に帰って少し落ち込んだ。私のようなよそ者は、発言しない方が良い。と思いながらも、前回のように、盛り上がらないものになれば、この可能性のある計画も、立ち消える焦りがあったからだ。

そもそもこの計画は、行政の予算不足に端を発していると見ている。
従来の行政手法では、公園を作れば、その後の管理の問題が出てくる。これが草刈ひとつ手におえない、そのため二の足を踏む事業が多い。行政がやると、なんでも4倍の費用がかかる。と私は見ている。

行政の草刈のシステムでは、その専門業者が居る。入札で仕事を取っているのだが、これでほぼ民民での仕事の倍になる。当然で、仕事の成果の管理、これも一仕事だ。証拠写真を黒板を掲げて、写真を撮っている。一方、我が家で、草刈を人に頼むのと、自分でやるのでは、労賃計算で、半分の値段になる。人なら、1万円払う仕事が、自分の労賃なら、5000円で済む。そんなことで、行政がやるのと、自分がやるのでは、4倍違う。5千円の仕事が、2万円の仕事になっている。

そこで、地元の人にやってもらおうと言う発想になるのだろう。悪いことではないのだが、地域の経済で、無理に成って荒れてきている、里山を、再生するには、ボランティア方式などと言う、甘い考えを行政が持つとすれば、捨てなければ成らない。

里山がこんなに荒れてしまったのは、業としての管理が出来ない状況に、里山がなっているからだ。里山地区の集落に、専業農家がいなくなっているからだ。久野の山林は個人所有の所が多いい。その方達が、クヌギを切って、杉檜を植えたのは、行政の指導もあるが、管理が出来なくなったからだ。そもそも、久野で、今里山と考えているところは、従来、ミカン山だったところだ。

業として管理できなくなって、荒れてしまっている里山を、従来のように戻したい。と言うなら、新しいシステムが居る。ボランティアを募って、里山が再生されるなら、簡単だが、これは発想の停止だ。逃げだ。里山が保全できる、合理的なシステムが、必要とされているのだ。

里山保全がお金になれば、誰だってやる。農の会が探求してきたのは、放棄された畑や田んぼを、借り受けて、業にしようと言う事だ。業になれば、耕作放棄地は無くなる。業としての成立を阻んでいるものを取り除けば良いだけだ。

結論だけ言えば、久野の里山に人が住めるように法を変えれば、里山は管理される。但し、里山づくりなのだから、その里山の保全を行う人なら、と言う範囲で人が住めるように、条件を付けることだ。家の規模、排水の管理、環境への配慮。細かな条件を付けて、許可をすれば良い。里山管理組合の、所有にして、貸し出すと言うのもある。

小田原の里山は、資産管理なのだ。これが不良資産になってしまい。にっちもさっちも行かないのだ。それで荒れている。しかし、大切な資産だ。これを適正な形で、動きが取れるほうに法を変えれば、徐々に良い所に収まるはずだ。もともとの土地の持つ潜在能力が高いところだ。東京近郊で、これほどの所は少ない。しかし、問題は、適正な住居作りの方策に尽きる。これを充分練って、田園居住を提案してゆけば、小田原の里山の問題は解決する。

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