終戦記念日と靖国神社参拝

   

61年前の8月15日は15年に渡って、日本が行ったアジアでの戦争が、敗戦という形で終わった日だ。日本人の死者の数は兵隊民間人合わせて、310万人。日本人が、アジアで殺してしまった人は2000万人。冥福を祈る日としたい。

日本の行ってしまった過ちは、2度と犯さないという事が、我々日本人が誓いとして、背負った責任だろう。しかし、世界はその後も絶え間なく戦争を続けている。ついに国連の決議案にしたが、戦闘を終了したが、昨日までは、イスラエルは、レバノに対し爆撃を行い、戦闘を仕掛けている。イラクは内戦状態にある。この戦争には、空輸作戦に日本の自衛隊は参加している。
アルカイダがかかわったとされる、ロンドンのテロ未遂事件も、世界のテロ事件が終わって居ない事を確認することになった。

暴力の連鎖は終わろうとしない。

小泉首相は公約に従うとして、今日靖国神社に参拝するという。何と愚かしいことか。死んだのは日本人だけではない。アジア2000万の戦死者に対し、どのような言い訳が出来るのだろう。不本意かも知れないが、アジアでの戦死者に対する責任は、A級戦犯といわれる人が、負っている事に国際法上はなっている。つまり、2000万人もの人を殺した犯人が、神となって祭られている神社に、日本の代表である、総理大臣が参拝する意味は重大と言わなければならない。

小泉首相の後継といわれている、安倍官房長官は姑息な形で、春の大祭にすでに参拝していた。このことを口を拭ったまま、総理大臣になろうとしている。何故、靖国神社にこれほども参拝したいのだろうか。小泉、安倍両氏ともそれほどの、神社信仰があるわけでも無いようだ。靖国神社参拝が日本の総理大臣の踏み絵になっているのだ。

左翼思想の持ち主で無いことの、証として、参拝すると考えると分かりやすい。右翼思想の持ち主である証明は、15日の参拝という辺りか。その意味では、小泉氏は今日、踏み絵を踏む事になるのか。普通に市民感覚では見えない形で、国家主義的思想は根強く、生き残っている。

このA級戦犯合祀の背景には、日本政府が日本の戦争責任をさばいた極東裁判を全く認めていないことがある。A級戦犯として、処刑された者に対しても「戦犯」の遺族対して、戦没者の遺族と同様に遺族年金・弔意金・扶助料などが支給され、さらに受刑者本人に対する恩給も支給されている。そこにはA級とB・C級の区別はなく、また、国内法の犯罪者とはみなさず、恩給権の消滅や選挙権・被選挙権の剥奪もない。刑死者は法務死と呼ばれている。

確かに戦勝国が、敗戦国を裁くという形は、不本意なものである。戦争責任は互いにあるはずだ。15年戦争における責任が、敗れた国だけに取らされる事は問題がある。しかし、問題はあるとしても、日本の責任が回避されている訳ではない。政府が決めた戦争に、アジアの人々を2000万人殺してしまった事に、業務上過失致死であるとするかもしれないが、誰も責任を取らない訳には行かない。

等しく、日本人が責任を取るという事が、必要なことかもしれないが、そのときの責任者はそれだけの覚悟を持って、事に当っていた以上、その罪を背負って裁きに従ったのではないか。それを、うやむやにしてしまうことは、日本人としていかにも申し訳が立たない。

今日小泉首相が、靖国に参拝することは、そういうことだ。

 - Peace Cafe