叢林生活・続き
頼岳寺に行ってきた。24名の方が出迎えてくれて、精一杯の実習を行った。茅野までの朝4時出て、8時に戻ると言う強行軍だった。小田原からだと、小山から、三国峠越えで、山中湖に出る。更に河口湖から御坂峠を越えて、甲府盆地に。一宮・御坂インターから中央高速で諏訪インターまで行く。このコースは塩山に桃の絵を描きにに行く時いつも使う。
40年ぶりの頼岳寺は、それは変わっていた。一番驚いたのが、裏を廻って上原城址まで舗装道路が出来ていたことだ。山梨、長野の古い寺院の多くが、裏山の頂上に城郭を持っている。この頂上の城を、火による伝令の場所にしていたそうだ。向かいの山にも同様の施設があり、これをジブザグと、敵の来襲などを伝えたという。私の生まれた、境川の向昌院も同様の形態の寺院であった。裏山には金比羅山が祭られた社があり、井戸もあった。40年前裏山の上原城址に、汗をかいて上り、郷土史家の方から、その話を聞いたことが懐かしく思い出された。
8時に到着して、すぐかまどの準備に入る。外の環境のいい場所を探して、設置するのが第一の仕事だ。この作業を行う場所が実は肝心で、自然に囲まれた場所がいい。自然が血の強い刺激を和らげてくれるのだ。杉の巨木に挟まれた場所を設定した。杉が守ってくれるだろう。
かまどは意外に難しくて、これで苦戦することが多いい。一気に火を強くしたいのだが、案外難しい。大きな釜で湯を沸かし、更に調理もするので、これが難しい。西岡さんが、持参してくれたかまどでやったが、やはり時間が掛かり、苦労をした。それでも予定を組んだとおり進められた。
中学生が13人。そして、卒業生が11名で、構成されている。13名の中学生はいい体験をしている。若い内にこうした体験が出来る事は、僧侶にならないとしても、大切な物を獲得できるだろう。卒業生が11名いるのは、ここでの体験が引き継がれていることを意味している。私が行った時は既に、多くの先輩が来ていた。過去から未来に、人から人へ伝えられている、仏教というものを感じた。
私なりの役割で、この連らなりに加えていただけたことで、幸せを感じた。林校長も着てくださり。世田谷学園の建学精神が、良い形で継続されていると思った。学校の中では、宗内生は本当に一部なのだが、やはりこの一部が、大切な一部となるのだろう。
山本さんの指導で、事前に色々指導が行われて、昨夜はドイツで行われている、豚の解体の映像を見たそうだ。又事後も充実した、指導が準備されていた。先ず、私の体験を少し話して、その後各自が、感じたことをまとめるようになっていた。まとめる基本を、五観の偈の考え方と照らし合わせながら、学ぶように進められていた。
五観の偈の唱和も久し振りに聞いた。大きな声が林にこだまするように響き、静かに、料理した鶏うどんを食べた。再新、と声がかかると、お変わりができる。4杯もお変わりをした生徒も居た。皆一様に美味しい。と言ってくれた。これで成功したといえる。
帰路は疲れてはいたが、八ヶ岳農業大学校裏の石置き場に行くことにしていた。ここには巨大な石がごろごろ置かれていて、石の顔を見て歩くだけで、面白いのだ。ヘタをすると1日つぶす事になる。気分よく家に帰ることができた。