農の会の課題

   

あしがら農の会は、毎年、一人の新規就農者の増加と、10人の市民農の仲間が増えてきた計算になる。こうして、今の規模になりながら、始まりの頃とほとんど同じような、運営のされ方がされてきた。これは時間のかかることだが、大切な基本だと思う。

しかし、人数が多くなることで、負担が大きくなる事も色々あり。例えば意思疎通が悪くなったり。農の会の捉え方が、少々違っていたりして、戸惑う事も起きる。農の会の一つの特徴は、10人10色の農法という事がある。これは案外珍しい事で、農の集まりというと、同じ農法の普及のため集まりというものが多いい。
この違った農法を行う、一人一人が自分の農法へのこだわりを、他の仲間に強要することはないか、この点は私は、いつも気を付けてきた。

それでも、農法の研究は互いに行ってきた。この辺は微妙なところがあるのだが、お互いが、実践者という基盤に立つと、十色の農法も、かえって互いに参考になることもある。参考にする所はしても、自分の農法を崩す事は無いのだと思う。やはり、こうした時代の中で、農業に進もうという者には、自分に対するこだわりは強い。しかし、生産物を見れば、一目歴然として、その実力は見える。そこに学ぶという、自主的な行為が起こるのだと思う。

「生活の探求」古い言葉だけれど、好きな言葉です。これが農の会の夫々の進んでいる道なのだと思う。これが、指導者がいたり、共通の宗教があったりするのでなく。それぞれが、夫々の責任で、歩んでいる事が大切なことだと、一人一人が思っている。私はそう想像している。

夫々なんだけど、ある感触の共通性は、切磋琢磨される中で生まれてくるものだ。
他の人達から見れば、ある意味では一つの塊に見えてしまうはずだ。しかし、夫々があらゆる意味で自立していて、寄りかかることの無い形。そんな形を、自然発生的に求めていたのだと思う。つまりそこに居心地の良さを感じた人が、集まり、残ってきたのだと思う。来るものは拒まず、去るものは追わず。

しかし、こうした組織のあり方は、常に固まることなく動いているのだから、次の世代にゆだねるという部分が大切なのだ。私自身がやれる事は、すでに終わってしまった。新しい酒には新しい器が必要で。常に生まれ変わり、固定することなく、自分が生かされる器を求める事だと思う。又そうした、冒険の出来る人が集まっていると思う。

私は、どう隠居するかという事だと思う。隠居は隠居としての立場で係ればいいのであって、いつまでもしゃしゃり出る事は、何の益も無い。しかし、隠居ならではの役割は、あって。暇なのだからこそ、やれる事もある。たしか、伊能忠敬は49で隠居し、55歳であの日本の測量を始める。

若い人達が、一日一日の暮らしを掛けて、挑戦している。その中で、探求してゆくものこそ、大切な物で、あらゆる意味で、自由な挑戦であって欲しい。

 - あしがら農の会