農作業の体力
2016/08/08
今頃が農作業が集中する。特に今年は田んぼの草がひどくて、草取りを週に2度ほどやらなければならないので、他の作業が追いやられている。こういうとき一番後になるのが、絵を描くことになる。ところが、たまに描くと絵は進んで、意外にわかりやすかったりする。
新規就農する人の一番の問題は、体力不足である。特に中年になって、やろうと言う人は身体ができていないので、この点で、挫折する事がある。体力がなければつくづく農作業は楽しめない。単純な農作業にも、ランナーズハイのような状態があり、肉体労働も辛いだけでない事に気付く。但し、これは基本的な体力があり、充実している場合の事だ。
3日ほど前、転がしを一日中やった。2反の田んぼを転がした。夕方7時までやっていた。間に鶏の世話もあるので、一日中と言っても、専念は出来ないのだが、ともかく、朝から晩まで、転がした。楽しかったのだが、体力的にどうか、と言う事があった。翌日これで、筋肉痛になったりして、いつもと違うのでは、労働者として恥ずかしい。今回はまだ、問題なかった。
以前、坊所の敏久さんと田んぼの作業で、一緒に働いた事がある。敏久さんは中学生の時に山仕事を大人と一緒にやっていた、と言う私にしてみると、スパーマンのような人だ。農業の専門家だ。有機認証で、果樹では日本で最初に認証を取った一人だ。あらゆる面でづ抜けた方なのだが、体力が一番すごい。それはいくら働いていても、疲労しないという事だ。
そのときは田んぼの畦を直したのだが、土を動かすと言う仕事は、筋肉仕事で、一日やると夕方はへばる。ところが敏久さんは全く変わらない。朝仕事を始めた時のように、夕方も同じ調子だ。我慢したり、頑張っているわけでなく。疲れない身体になってしまっているのだ。我々は疲労して、休憩したくなったりするのだが、敏久さん時間が来たから休憩するので、仕事の段取りのような感じだった。
明治時代の農作業の本に、江戸時代の農民に較べて、今の農民は一日の作業が半分しかできなくなってしまったと言う、嘆きの記述がある。それは粗起こしという、鍬で田んぼを耕す速さを言っている。一日、1反は江戸時代耕せたと言うのだ。明治に入り、5畝になった。では今なら、どのくらいかと、私もやってみたことがある。3畝だった。
田植えではどうかと言うと、これは女性で、1日1反は植えたと言う。これが競技のようになっていて、これで評判が立つと、最高の嫁入りが出来た、と言う愛知の方であった話だそうだ。では、私ならどうだろうと、やってみた。1日、5畝だった。
これは、翌日普通の状態と言う前提である。翌日疲れが残るような働き方でなく、毎日続けられる、身体の使いかたでだ。
有機農業者の集まりで、トラックターの運転法ばかりが、話題になる。今更体力云々など言うと、怪訝な顔をされるのがおちだが、自給自足生活の基本は体力だと思う。1日外仕事ができなくなったら、仕事としての農業は辞めようと思っている。農業は食べ物を作る仕事だ。それだけの責任があると思う。人様に食べていただくと言う事は、真剣に取り組まなくては、責任が持てない。疲れてやっているようでは、いい作業は出来ない。
幸い今年も体の方は大丈夫だ、49年生まれなので、そろそろ体力のことが気になる。ご近所のお年よりは、80過ぎても一日働いて大丈夫のようだ。体力は若い内に付けなければ、中年からでは無理だ。とおもう。以前「お前が百姓の訳が無い」と朝市で、言われた事があるのだが、中・高校生の頃陸上競技の中距離をやっていて、実は体力には自信があるのだ。