ドミニカ共和国への移住者訴訟問題
政府は「移住者のご苦労に対する率直なおわび」を表明する、小泉首相談話を出す方向で検討に入った。首相談話には(1)移住者の苦労に対する率直なおわび(2)支給金の給付(3)支給金を確保する法的措置(4)苦労を乗り越えたことへの敬意(5)対話の継続と信頼関係の構築――の5点が含まれる見通し。支給金は約1300人を対象に、1人当たり最大200万円を給付することで検討している。 以上、報道による。
政府が賢明な判断をしてくれた事はよかった。しかし、訴訟する前の長い交渉の期間に、こうした判断が出来なかったものかとは思う。祖母の妹にあたる人がアメリカに移民している。太平洋戦争の最中は、排日法案、強制的に収容所に収監され、農場等の財産の問題など、大変だったと聞いた。しかし、アメリカ政府は、自らこの問題に対し、間違った政策だったことを認め、補償した。
行政が補償するということにも色々ある。先日から、シンドラー社のエレベーター故障が、問題化している。その中で、最初に事故で亡くなった、マンションの住民から、不安で住めないから、エレベーターが改善されるまで、他に住んでいたいと言う人が、20%居たそうだ。すると解決案として、港区役所の方から、引越し費用や、移転先の家賃を出す事にした、らしい。
私にはその意味が理解できない。エレベーターが無いから、住めないという事なら早く直せばいいだろう。直るまで、他に住んでいたいと言う事は、私には行政が補償する範囲とは思えない。何処までが、行政で補償するべきなのだろう。このことと良く似ているのが、耐震強度偽装。これを公的に補償すべき根拠は、公的審査機関が、機能していなかったところにある。本来行政が、行うべき審査を、なんでも民営化ということで、民間委託されていた。民間は効率主義だから、見たことにして、良く見ていなかった。行政の審査でも、見る能力に欠けていた。
エレベーターはそういう問題では無い。私は三菱エレベーターで、6ヶ月間据付アルバイトとして働いたことがある。アルバイト先は、下請け会社だった。実はこの6ヶ月間と言う短い間に、5機ほどのエレベーターの据付にかかわった。最後は、一人でまかされて、一台をほぼ設置した。この運転には審査が2度ある。車検と呼ばれていた。車と同じような検査があるのだが、先ず、社内検査と言う物がある。
これのほうが大変なのだ。チェック箇所が、10箇所以内だと、報奨金が出るので、これを目指す。しかし、そんなことは一度もなかった。30ヶ所以内だったか、それなら、検査はパスするが、当然チェックされたところはやり直す。それが、すげてのねじの強度と言うのが決まっていて、機械で締め具合を確かめる。これがいくつからいくつで統一されていないと減点1、となる。隙間や、垂直もミリ単位でブレがあればやり直しと成る。50を越えると、全体のやり直しだ。
社内検査を通れば、今度は公的検査機関から、検査官が来て、審査してゆく。これは形式的なもので、誰も心配はしなかった。いずれの検査にも、接待が付いていた様だ。
シンドラー社のような例は、当時の私の経験では信じがたい事だった。住民は暮らしをどう考えていたのだろう。時々壊れるが、そういうものと思っていたのか。何故、完全に直そうとしなかったのか。事故が起こると、不安で今度は住めないから、引越しだそうだ。自らが暮らすということに、主体性が感じられない。
ドミニカ移民の皆さんのことだ。これほど悲惨な暮らしを、押し付けられた前例は、聞いた事が無い。塩を吹く大地で、耕作しろ。それを知っていて、隠して進めた、当時の外務省の無責任さ。
私も北向きの杉林を、条件の悪さを嘆きながら、開墾をした。そんなこととは較べれない。しかし、どれだけ努力したとしても、可能性の無いところをあてがわれた結果。どんな人生が押し付けられたのか。無駄な人生など無いのだが、本当に辛かったと思う。特に政府の行う4番目の、苦労を乗り越えた人生に対する敬意の表明。これは大事だと思う。