多角的貿易交渉:農業自由化交渉
世界貿易機関(WTO)のラミー事務局長は3日、共同通信などと会見し、難航している新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)の主要課題である農業自由化交渉について、日本のコメなど高関税品目も「関税を削減し、関税割り当て制度で市場開放を進めなければならない」と述べ、一段の市場開放は避けられないとの見解を表明した。
自由貿易というものは、平等なものだろうか。日本の米が、高関税であると、世界中から問題視されている。米の関税を下げたとしても、ラウンド全体を見れば日本は鉱工業製品やサービス貿易などの分野で利益を得ることができる。これが、WTOでの交渉の基本と成っている。
農業分野で、関税を引き下げて食量の輸入がさらに増えたとしても、全体で見れば鉱工業製品の輸出量は増加することで、日本は有利なのだから、ここは譲った方がいいだろう。これがWTOの要望だ。このことで、小泉首相はラーミー事務局長と会談する事になるそうだ。
日本の食糧の自給率は40%だ。これを少しでも増やす事が、日本政府の方針でもある。食糧の自給と言う事は、私は国の根幹だと思う。鉱工業製品が売れなくなったとしても、食料は国内で自給しなくてはならない。これは、実は日本だけの問題ではない。世界の戦争の原因の多くは、食べ物の不安から起こる。明日の食べ物の無い現状は世界では珍しい事ではない。
明日の食べ物の確保が、平和への一番の道だ。お金があるから、食べ物は買えばいいと言って、自国で食糧の自給をしないという事は、明日の食べ物の無い国に迷惑をかけることだ。
以前、遺伝子組み換えではない事が証明されている、トウモロコシがなくなったことがあった。
アメリカから畜産の飼料として輸入されているものだ。鶏の餌として特別なルートで、遺伝子組み換えフリーとか言われて輸入されていた。安全な餌を与えた、養鶏をやると言う人達が輸入していたのだ。ところが、消費者から、混入が指摘され、分析をしてみると、組み換えが殆どの場合あることが分かった。トウモロコシは風媒花だから、当然だ。流通経路も別立てなど難しいようだ。
そこで目をつけたのが、インドのトウモロコシだ。これなら、組み換えは無いというので、一気に業者が買い付けたそうだ。ところが、このトウモロコシは、インドの低所得者の主要な食料だったそうだ。当然の事で、需要がなければ、生産している訳が無い。日本の業者はお金はある。当然インドのトウモロコシは相場が沸騰した。低所得者は飢えることになった。日本向けに生産していたわけではないところに割り込んだ所に問題が生じた。
日本国内では、安全な卵を消費者は求める。インドで困っても、安全な卵のほうが重要か。
輸入の有機野菜と。地場の慣行農法の野菜とどちらを選ぶ事が、総合的な判断として、正しいか。私は、地場の物を選択したほうが、いい判断だと思う。
そして、地場の農家を育てる事だと思う。有機野菜の消費者がいれば、生産者は現れてくる。先ずは地場の物を買うことだ。
食料はどこまで行っても暮らしの基本だ。これを他国依存した国が、あらゆる分野でゆがんでゆくのは当然の事だ。暮らしが空洞化してゆく。食べ物を作る姿が消えてしまった暮らしでは、健全な文化の育成が出来ない。人間が育たない国に、未来は無い。
WTOでコメの生産を利害だけで、言われて、納得してしまうのが日本に産業構造の現実だ。農業分野が、どれだけ踏みにじられ、ゆがめられてきたか。日本では農家と言っても収入は他分野から得ている人が大半だ。だから、実際には不可能と思える現状でも40%は国内自給されている。こうした、不健全な形の、兼業農家の存在が、例えばアパート経営が主なのだから、やたら高価な農機具が購入できるような農家の存在が、当たり前に農業を始めようと言う若者の芽をつぶしてしまうことにもなっている。
食料については、別に考えなくてはダメだと思う。そのことで、車が売れなくなる事は、確かに国としては、損な事なのかもしれないが。お金や車は食べる事ができないのだから、食べ物を別に考えるのは、生き物としての人間なら当然のことでは無いだろうか。