地域自給圏の構想

      2016/08/08

私が一人の自給の達成から始めた事は以前書きました。
一人が出来るなら、もう少し広げてみようと言う事が、あしがら農の会になりました。ここでは、自給の地域と言うのは、どのように考えるのが自然なのか考えて見ます。

昔から言われるのが、三(四)里四方の物を地の物というらしい。身土不二(しんどふじ)という考え方から来ている。中国から来た考え方のようで、身体と環境は不可分である。仏教的な考えのようだ。歩いて移動する前提で考えると、歩いて、3,4時間かかれば適度かと言う気がする。子供の頃、街まで行くと言って、朝出かけて、甲府まで行き、デパートなどを見て、親戚に寄り、お茶を呼ばれ、時には昼ごはんを頂き、家に帰るのが夕刻。泊りがけの距離は、どうも地域とはいえなかったとすれば、3,4里、自給圏の範囲はこんなものだろう。

これは私の暮らす地域でいえば、足柄平野、酒匂川流域と言う事になる。これを一地域と考えてみるようになった。そう考えて、過去のこの地域を調べるて見ると、「あしがら」と言う一くくりが、上手く出来ていて、物の流通や、生産は足柄を地域自給圏として、みていたことが分かってきた。勿論行政的な範囲というものも、あっての事だろうが、自然発生的に成立した物として、見たほうが、見えてくるものがある。

流域圏という考え方で、相模川、富士川、と考えてみるのも面白い、と思うようになった。その頃、神奈川県の広域化構想が出てきて、これが又同じような考え方で、驚いた。しかし、行政の単位とは別だと思う。小さい行政単位があり、これが連携するのが、流域圏であり、自然発生的生活圏である4里四方と言う事になるのだろう。行政は細かくするほど合理性のあるものと、大きくする事で出てくるメリットがある。これを上手く組み合わせるところが、大切なのだと思う。

酒匂川流域あしがら構想への思いは徐々に高まった。この地域を10ぐらいに分けて考えると、歩いて作業の出来る地域に分割できる。歩いて30分で田んぼや畑に行ける範囲。ここに、一つずつ共同の田んぼや畑が出来る事になれば、誰もが都合よく参加する事ができる。そう思ったのが、10年程前です。年に一箇所づつ増えてゆけば、いいと考えた。10年が経って、その下地は出来上がった。10箇所の田んぼはほぼ、地域に点在するようになった。

地域自給の機能の範囲と言うとどうなるのだろう。教育と言う事が大きい。特に高等教育を考えると、地域にはない。これを地域内に成立させる、仕組みが必要になる。教育の自給だ。地域に地域らしい高等教育を成立させてゆく事が、地域圏の成立に不可欠な事になる。文化的な地域の独立性の確保。これは営業的な大学が立地を求めて、進出すると言うのでは、これは大型店が、来たのとなんら変わらない事だ。むしろ、地域で学ぼうとする者が、必要な指導者を求めて、作る。高等教育機関では無いだろうか。

課題は街と言う存在だ。現在小田原の街が、この地域では大きい。しかし、形の崩壊が始まっている。街の意味の変化に、対応できていない故に、全国どこでも起きているように寂れてゆく。「中心市街地の活性化」ということが出てくる。
これほど愚かな考え方は無い。街の機能ということは、暮らしの変化とともに変って当然だ。各商業者の利害でだけ考えるから、活性化が前提になる。
行政の力がここに集中することになる。

地域自給圏を考えれば、地域の機能をどのように、分散してゆくかが、むしろ課題なのだ。暮らしの視線で、生活者の視線で、地域を見直す。これが地域自給圏構想には、不可欠な事になる。

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