世田谷学園のこと
先日突然、世田谷学園で大学出て以来教師をしている。友人が訪ねて呉れた。彼が、言いにくそうに、同窓会で何か話をしてくれないか。と言う事だった。友人に頼まれては、断れない。それで、「農業に進んで」と言う事なら、ということで話しをさせてもらった。小田原周辺の卒業生の方から電話があったり、わざわざ来てくださる方がいらしたりで、それなりに楽しかった。
私は東京の世田谷学園の卒業生だ。そして、父兄だったこともある。さらに、講師としても7年少し、働いた。宗内生として、授業料も免除されていた。
この学校は曹洞宗の宗立校として、スタートした。歴史は400年を越える。日本でも最古の学校のひとつだろう。駒澤大学と同じで、栴檀林という寺院の中にある、教育機関だった。
世田谷学園も随分と変化している。校名も私がいた頃は世田谷中学、と世田谷高校だった。私が生徒としていた頃の事、その後の事など、状況が違いすぎる。一くくりに書くことは出来ない。
しかし、教育と言う事を考えた時に、この学校での経験を抜きに考える事はできない。それほどこの学校には深く、係った気がする。最近はこの学校は、柔道や空手が強くて、古賀、吉田の金メダリストで有名になった。そのほうで名前を聞いた事のある人も多いいかもしれない。
この学校の、私の中での重さは、生き方を決定した。3人の人との出会いだ。
山本素峰先生、萩野浩基先生、そして、友人の窪川真。
素峰先生は私が高校に入学した、時に。この学校に仏教の講師として見えた。それまで、永平寺を始め全国の禅堂で延々と修行をされていて、この時、久方ぶりに俗世間に戻ってきた。本当の坊さんというものは、これほどすごいものか。と、畏敬の念を抱いた。それから、私も坊さんになろうと考えたのだから、教育は人だということは、私にとっては変え難いものがある。素峰先生の事は改めて書きたい。
萩野浩基先生は現在自民党の衆議院議員をされている。このことはよく理解できないのだが、私の命の恩人だ。私のために1年間の時間をかけて面倒を見てくださった。このことも改めて書きたい。
2人の先生、そして、友人の窪川真のおかげで、何とかカンとか、やってこれた。だから世田谷学園の事を考えると、どこまでも人ということになる。人との出会いが用意されていた。多分これが、私の幸運だと思う。
その舞台を、状況を用意してくれたのが、世田谷学園と言う学校だった。
同窓会で、話をするなど、真におこがましく、そんな人間ではないのだが、東京の学校と言う事で、農業に進んだ人など他にいない。ものめずらしい。と言う事だったと思う。荷の重い役目で、恐縮しっぱなしの話だった。
驚いた事には、自分もその道を考えているので、と言う人が、数名おられたことだ。わざわざ話を聞きに来て呉れた。それで、話の後には就農相談になった。
団塊の世代の、「定年帰農」は嘘ではない。同窓会では世田谷での教育と、農業に進んだ、関連を話したのだが。話の後の質問からすると、はじめから、就農の条件など話せばよかったと思った。それなら、私のいつもやっている事なので、しどろもどろにならずに済んだのに、後の祭りだ。