味噌作り

      2016/08/08

食の自給で、始めに取り組む活動が味噌作りでは無いだろうか。どの地域にも味噌を集まって作っています。と言うグループが多数存在する。この足柄地域でも、多分10以上の活動があるようだ。

この辺では、ちょっと前までは、味噌は家で作っていた。醤油も家で作っていたと言う話を良く聞く。屋号が、「みそや」「しょうゆや」という家もある。醤油屋さんが搾りに着てくれなくなったんで醤油はやめたんだ。そんな風に言われる。一日1件ぐらいのペースで、搾ってゆくのだそうだ。庭先で積み上げて搾っていた事に記憶のある人は多いい。所が残念な事に、私の育った家は醤油は作っていなかったので、その記憶が無い。

糀屋さんもなくなってしまった。これも相当の数この地域には存在したようだ。戦後、生活改善クラブの活動と言うものがあって、農家のお嫁さん達のくらしを中心に改善してゆく活動が、あった。詳しく記憶していないが、どうもアメリカ式のくらしを普及してゆく、ニュアンスがあったように思った。それは、パン作りの普及と言う事が、含まれていたからのような気がする。この活動を秋田で、普及員という形でされていた、90を越えた彫刻家の照井さんという、女性がいる。この方は50を越えて彫刻家を目指し、フランスに行き、勉強した。その事は別の時に。

照井さんから、当時の生活改善活動の話を聞いて、面白い事が分かった。そうして蒔かれた種が、今も継続して、この地域に残り、実は地域の核となっている気がする。朝市をやったり、味噌作りをやったり、祭りをサポートしたり、中には演劇活動が行われていたりする。婦人会とは少し違った、自主的なものとして、動いている。

味噌作りがそうした地域活動にもあり、又市民活動のほうでも起こってきている。生活クラブや、生協などでも企画を立てている。こういうところから生活を見直すということは、大切な事で、いい方向に向かう事を願っている。あしがら農の会では、この活動を農の会らしく自給の観点から、大豆の生産に目を向けてきた。味噌を作るなら、大豆の自給から、これは当然のことだ。しかし、中々進まなかった。
田んぼの畦で、作るグループは出てきて、10キロ程度はグループで生産できていたが、自給とまでは行かなかった。

農家的にはどうかというと、どうも生産者は積極的に作る気がしないようだ。キロ1300円と言う価格で、購入する事になっていても、あまり、気が進まないようだ。そこで、ついに味噌の会の畑が出来ることになった。味噌の会で、大豆を作ってみようと言うのだ。どうしても耕作せざる得ない畑が出来てしまい。味噌作りの中原さんにお願いして、やって頂く事になった。

中原さんには負担が増えて申し訳なかったのですが、味噌作りの参加者にトレーを配り、種を蒔きから、苗作りと、各自が自給の大豆作りを目指します。この辺りでは、7月7日が種蒔きと言われていますが、大豆作るは結構難しくて、毎年畑では苦戦するので、今年どうなるか心配ですが、成功を祈っています。まぁ失敗する事も大切な自給活動なのですが。

味噌作りの活動の農の会方式が出来上がれば、沢山生まれて来ている、味噌作り市民活動に、刺激を与え、自給の何たるかを、考えてもらえるのではないだろうか。
今日はその第1回目の活動だ。草刈とか。耕運機を掛けるとか。そんな事らしい。

 - 保存食, 味噌, 大豆, 自給