教育基本法
教育基本法の改定が、現実となってきた。16日から、国会特別委員会審議が始まる。
昨日、秦野の9条の会の発足集会で、小森陽一さんの講演を聞いてきた。冒頭この問題を、詳しく話された。以前から憲法改定と併せて行わないと、法的な整合性がとれないとは聞いていたが、その事が、具体的にはどういう言葉になるのか、指摘があった。
「我らは、先に、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようと決意を示した。」こうした言葉で、この法律は始まっている。つまり、日本が60年前の戦争で、アジアで2000万の人を殺してしまい。その懺悔の気持ちから、平和を希求する国になることを誓った。
ここはすっかりと省かれることになる。
その精神を日本国憲法で表現し、教育基本法で、そうした国民の育成を、誓った。
「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成・・・・」と続いてゆく、この平和と言う言葉を、正義と言う言葉に、置き換える事を、改正と言う。
憲法も変え、教育基本法も変える。その変えようという一文字一文字に、その意味がある。平和を正義に変えることは、アメリカの行う正義の戦争の、スローガンどおりだ。正義と言う言葉は、自分の都合よく角度を変えられる。自らの利害から、正義を振りかざす事ができる。正義の名の下に、無かった戦争はないだろう。
愛国心を教育基本法に入れるかどうか。これが報道では一番中心に置かれている。これが政府案では「我が国と郷土を愛する、態度を養う。」を2条5項に加える事になる。愛する態度、だから、愛国心とは異なり問題がないか、「態度」の意味するところは、国旗を掲揚し、君が代を斉唱する、態度・行動を意味する。今東京都教育委員会がやっている事を、法的に裏付ける、と言う事だろう。
なぜ教育を問題にするのか。こちらがより重要なことだ。ふがいない若者、を何とかしなくてはならない。こういうことだろう。果たして教育の問題であろうか。社会構造に起因する事に思える。資本主義が行き詰ってきている。
私の行っている養鶏業から見てみる。大規模で、鶏を生き物としてみない世界だ。「命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」2条4項に加える文案だ。しかし、いくら法律でこんな精神を唱えても、問題は競争の激化する養鶏業界で、生き物を虐待しなくては、競争に勝てない。こうした現実がより深刻化している事が、問題のもとなのだ。競争に勝つためには、人間らしい心を捨てたほうが有利である。と言うのが、競争社会の現実だ。
卵の輸入が、ついに始まった。鳥インフルエンザ問題以降である。このことは、競争の原理が、アジア全域に及び、心を捨てて、鶏を飼う事が、広がってきたと言う事だ。伝統的鶏飼いの文化を崩壊させたのだ。背景には経済援助とか、言う名の下に進出する大資本が必ずある。経済、科学の発展を楽観視、してはならない。人間性の豊かさに基づいた科学、経済ではないのだ。有利となれば、クローンでも遺伝子組み換えでも、やった者勝ちの仕組みだ。
教育に目を向けるのはいいとしても、経済社会の状況では、これから深刻な経済競争が起こる事になる。豊かになりたいと願う、当然の帰結だ。
アメリカが必死になって、軍事力に依存するのは、世界の経済競争が、簡単でなくなってきているからだ。エネルギー問題もある。アメリカの尻馬で、何とか競争を優位に展開して来た日本も、中国、韓国、インド、パキスタン。アジア全域の追い上げで、優位性はそう簡単でなくなっている。
今の若者の中に、ふがいない者がいるとしても、教育の問題ではないのだ。