世界の後退が始まっている。

      2025/04/24


 
 戦争は飛び火し、広がるばかりである。ロシアもイスラエルも戦争を止めようとしない。一国主義を大国が主張し、自由貿易は風前の灯火。世界を豊かにしてきたグローバリゼーションが、それをリードしてきた国によって終わろうとしている。貧しい国が成長を始めたことが大国の逆鱗に触れたということになる。
 
 「一人はみんなのために、みんなは一人(一つの目的)のために」三銃士の言葉だそうだ。自分のためにだけやると言う正義の国だから、戦争など始める。人のことどころではないという世界の切迫感。それは先進国を後から来た国々が追い越すことが見えてきたから起きたことと思われる。
 
 トランプが選挙で勝利したことはアメリカの議会制民主主義が健全に機能していないと言うことを意味している。不健全な社会では、選挙によって間違った選択がなされる。多数派が不健全なアメリカ社会。ヒットラーもそうだったし、トランプもそうなのだろう。
 
 トランプを選択してしまったアメリカの限界は、一国主義に対する代案を示せなかった民主党にあったのだろう。なりふり構わず、正義を捨ててまで利己主義になるアメリカ人の姿は見たくなかった。資本主義末期の鬼畜の姿に見える。
 
 世界中のことを考えて、世界の警察として負担を負っていたアメリカにしてみれば、もうそんな余裕はないと言うことなのかもしれない。豊かな国アメリカは貧富の差が広がり、貧困層の不満を吸収する事ができずにいる。富裕層をアメリカンドリームではさすがにない。
 
 アメリカ一国主義は行き場のない、切迫した格差社会になってしまったのだ。資本主義が行き過ぎた競争によって、貧困層が生まれ、貧困層が暴力革命を起す不安を、アメリカの富裕層が感じている。その不安をアメリカ一国主義にすり替えているのがトランプの登場なのだろう。
 
 一国主義にしたところで階層化はさらに進み、社会の不満は溜まって行くばかりに違いない。トランプ政権下のアメリカでは暴動が起きる可能性すら高まるだろう。トランプに希望を見た下層階級の人達は遠からず、絶望を味わうに違いない。トランプは富裕層をさらに富裕層にする大統領にしか見えない。
 
 等しく貧困である方が、階層化された社会よりもまだましだろう。富裕層が貧困層を搾取する行き過ぎた構造が、資本主義の末期的社会状況に違いない。資本主義は修正が効かない。修正しようとすると、後から来たものに競争で敗れる不安が先に来て、利己主義に陥る。
 
 それが米中対立である。資本主義で勝利すると言うことは社会の階層化が激しいもになる。アメリカもそうだし、中国もそうだ。中国の国家資本主議と競争するためには一国主義しかないというのが、アメリカの選択になる。中国は修正のために、共同富裕を打ち出している。資本主義を乗り越えることは、人間には相当に難しいことのようだ。
 
 人間という動物は生存競争の勝利者なのだ。競争に勝ちたいという本能から抜け出ることが出来ないでいる。トランプ氏はその勝利者の醜さの象徴である。勝者の論理しか持ち合わせていない。しかし、アメリカという国の中には良質な善意があると思う。それがいつか爆発するのではないか。
 
 このままアメリカが一国主義で進めば、世界中が一国主義にならざるえなくなるだろう。世界のグループ分けが、顕著になるはずだ。今のままでは日本は宗主国アメリカの手先として、中国との経済戦争の先兵にされるはずだ。そうなる前に、日本は日本の道を捜す必要がある。
 
 日本でも同様に、何かおかしなことが起きている。低投票率下で、野党が統一候補を出せないにもかかわらず、与党が過半数割れを起こした衆院選挙。国民民主党の手取り増が大きな支持を得たのは良いとしても、健全な民主主議の選択とは私には思えない。国民は正しい選択を出来なくなっている。
 
 不信任によって失職した前知事がSNS選挙で再選された。兵庫県知事選の異様な展開。選挙と言うものに過去とは違う事態が相次いでいる。この背景には、想像以上の政治の常識を覆す巨大な変化が、社会に生じている。コンピュター革命下の変調の時代が始まりつつあるのかもしれない。
 
 過去にない、心理的に不安定化した社会が出現しているのではないだろうか。社会が健全な調整能力を失っていることは確かだ。大衆が判断力を失う時代になっている。斉藤知事の犯罪行為を、斉藤知事がいじめに遭っているととらえてしまい、社会的弱者の側に立つべきだという感情的反応の危険。
 
 一方で何も変ろうとしない、たぶん変ることの出来ない保守政権。保守的で利権的な自民党のゆがみ。アベ派解体という伝統的な利益調整が揺らいだ後に成立した、足場のない石破体制において、利益争奪のために結託する野党と宗教団体との癒着によって、政治の透明性はないまま、煮え切らないまま進んで行く政治状況。
 
 批判的な議論がジャーナリズムに失われた。これは大衆の健全さが失われたために起きていることと関連している。報道が批判精神を盛って、政治の問題点を暴き出すことがなくなっている。それは報道が経営にばかり意識が行くためだ。市民社会の発展がなくなり、感情的な反応だけの大衆政治、ポピュリズムの蔓延が日本の危機を生んでいる。
 
 日本では思想的な対立は見られない。少数与党による政権運営という新局面に入り、お金の出入りだけに政治の話題が限定されて、本来日米安保の見直しをしなければ成らないという、国の安全保障の決定的な転換期であるにもかかわらず、その議論は全く行われないまま、トランプの登場を待っている日本の政治状況。
 
 日本はなにもかもが劣化を始めている気がして成らない。田原総一朗氏のナベツネ評を読んでその劣化に驚いた。耄碌したのだ。その耄碌じいさんが未だに取り上げられている評論の世界の劣化のひどさ。ここまで落ち込めば、もう一度立ちご破算にする以外ないだろう。
 
 社会がどこに向かえば良いのか。人間の幸せはどこにあるのか。そこからもう一度考え直す以外にない。たぶん人類はこうしたやり直しを何度もしてきたのではないだろうか。何度も何度も行き過ぎて失敗をして、これではダメだとやり直したのだろう。今やり直す以外にない。
 
 コンピュター革命の時代に入り、もう一度人間はどこに向かうべきかを問い直すときが来ているのではないだろうか。もしここで立ち止まることが出来なければ、世界は悲惨な過去にない戦争に進むことになる。日本や原爆を保有しない国が、声を上げなければならないときだろう。
 
 

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