老いの観察

長年観察をすることを中心に生きてきた。鶏を飼うことも、イネ作りも、絵を描くことも、観察がすべての始まりだと思い観察することに集中してきた。観察つまり「見る喜び」から始まる。見る事は奧が深い。見て楽しむ。見て考える。また、見直して考える。この繰返しをしてきた。
絵を描くのであれば、風景をどこまで見ることが出来るかが、前提になる。風景から自然というものの摂理をたどる。そんなり立ちの全体を把握できなければ、風景を描く面白さはない。風景を描きながら、自然、宇宙、そうした世界観の全体を描く事にならなければならない。
何をやるにしても「見る喜び」が不可欠になる。自分の眼で正しく見ることが出来なければ、その先には何もない。風景をよくよく見れば、きれいだではすまない世界が広がっていることに気付く。最近何でも「絶景」で済ますが、絶景の意味を理解をしないで使っている。
絶景とは他にはない景色のことだ。私には他にないような景色では絵にする気は無い。見ることが面白いのは、景色の中に世界や暮らしが見えてきたときのことだ。普通の暮らしの風景が面白いと思う。人間が暮らしを通して作りだした姿こそ、世界観がそこに表れる。
見ることには喜びがある。発見がある。世界を知ることになる。見て分ればやってみたくなる。やってみなければ見たことが確認が出来ない。見ることは行動につながる。働くことが楽しい事になる。見る喜びがあるから鶏を飼うことも、稲を作ることも、絵を描くことも、楽しくやってこれたのだと思う。
先日、のぼたん農園の機械小屋のシャッターを開けようとしたら重い。何かが壊れたのかと思った。渡部さんにその話をしたら、簡単に開けてくれた。「笹村さん別段前と同じですよ。」というのだ。エッ!何とこれほど力が衰えたのかと、実感せざるえなかった。
それでも渡部さんがシャッターにあれこれオイルやグリスを塗って、軽くしてくれた。力が衰えたと思わず、シャッターが壊れたと考えた自分に驚いたのだ。自分というものを見ることは難しい。自分ほど正確に観察することが難しいものはない。自分という基準から判断をしてしまう。自分の変化に気づけない。自分は難しい。
瓶の蓋が開けられなくなって、手の力の衰えを感じる。やはり最初は、最近蓋はどうも堅くなった。中国からの輸入の瓶ではないか。などと勝手なことを思っていたのだ。シャッターが開けられなかったときに、まず腕の力の衰えを感じなければいけなかった。自分というものの観察は、一番難しいのかもしれない。
目の方は徐々に視野が狭くなっているのは、見ていて気付くまでになった。これも、人間ドックで言われるまで分らなかった。身体は年齢と共に衰え、最後に死に至る。誰にでも必然のことだ。衰えて行く自分というものを、喜びを持って、正確に観察する必要がある。それが出来なければ、自分の絵など描くことが出来るはずが無い。
75歳まで生きていることを有り難いと思わなくてはならない。楽しい老いの観察をしたいと思う。身体の衰えもあるし、頭の衰えもある。死に至る人間を総合的に観察をしてみたいと思う。老いて行くことも、生きるという実相を含んでいるのだから、老いにも期待しているところもある。
絵を描くことは老いによって、若い頃よりも、何かしら良くなるものもあるのかもしれない。まずその課題の確認の現場は、2畝の自給の田んぼだと思っている。2畝の田んぼを自分の力でやりきってみたいと思う。田んぼは自分の総合力の結果を見せてくれるはずだ。絵を描くときは田んぼをやるように、田んぼをやるときには絵を描くように。
田んぼが旨く出来なければ、観察力と肉体の衰えが進んだと言うことになる。今年は1番田んぼ2畝の田んぼを、一人でやりきろうと考えている。まさかやれないはずがない。そう思い進めている。実証主義者のつもりであるから、やらない限り確認はしない。
まず荒起こし、代掻き、田んぼの均し、田植え、と一人でやりきるつもりで進めた。田植えは途中からみんなが手伝いに加わってくれたので、有り難くお願いをした。一人でやるつもりもあったのだが、手伝って貰いたい気持ちもあった。それでも北側半分の1畝は一人で植えた。自分で植えた所はどうも良い。気持ちが入り可愛いのかも知れないが、一日1畝を植えて、二日で田植えをするつもりだった。
有り難く午後から手伝って貰ったので、一日で全部が終わり、防風ネット張りまで出来た。それでも一日1畝の田植えはまだ出来ることが分った。何んだたいしたことはないと、田植えを知っている人はみんな思うだろうが、実はこの田んぼは故あって深い。膝まで潜るのだから、簡単な田植えではないのだ。
田植え10日後4日かけてコロガシを縦横1回やった。その間に補植もした。そしてさらに1週間空けて、今度は2日半で縦横コロガシをやった。風で随分やられた株があった。30㎝角の2畝の田んぼだ。膝まで沈むところがあるから、コロガシも生半可ではなかった。
始めてトラックターを入れた田んぼだった。石の層があちこちにあって、それを取り除くために、深い田んぼになった。コロガシや補植で歩いてい
ると、足に大きな石が当たる。その旅に作業が石拾いに変る。これは力勝負だが、簡単には掘り起こせなくなっている。それでも何とか抜き出している。
ると、足に大きな石が当たる。その旅に作業が石拾いに変る。これは力勝負だが、簡単には掘り起こせなくなっている。それでも何とか抜き出している。
まあ、こういうことはつべこべと言い訳のようなものなのだが、要するに苦労したわけだが、2日あれば「一人で出来た。」と言うぐらいの体力だ。3歳児の「靴下はけたよ。」と同じようなものだ。江戸時代の三河の記録で、1日で苗取りから始めて、田植えまでで一人で1反。という女性の記録があるそうだ。
全くそれに較べれば3歳児のようなものだ。2畝の自給の田んぼで、200キロの収穫が目標である。ひこばえを2回収穫するから、一回は反収は低いが、一年で見れば、反収1トン取りである。畝取りを大きく越える。ただ今年は3回の収穫で120キロあればという低めの目標である。
しかし、これは江戸時代よりもはるかに大きな収量である。三河の女性に負けていない。75歳でも一人で畝取りができることを実現したいのだ。そのためには観察力である。そして、経験である。できる限りの努力をしてみるつもりだ。それが出来れば絵も描ける。
自給の田んぼ2畝の管理がどれだけ出来るか、観察力を含めて、「老い観察」をして行きたい。シャッターがいつまで開けられるかなどなどである。しかし、今はシャッターを上げるのはそう難しくない。やはり錆び付いて重くなっていたのだ。力のある渡部さんには、シャッターぐらいの重さが堪えないと言うことのようだ。と老人のやせ我慢で考えて頑張って行く。