石垣島暮らしに向いている人

茶色いのはアカウキクサ白く写っているのが熱帯睡蓮ティナ。花の色は正確には写らない。腕も悪いし、写真機は使いやすくて良いところもあるのだが、古くて壊れかかっている。ティナの美しさが出ていないところはなんとも残念だ。
石垣島に引っ越して5年と4ヶ月が経過した。来て良かった。心よりそう思っている。石垣島暮らしに向いている人はどんな人か問えば、はっきり言えることは、私のようなテェーゲェーで強気な性格の人間が向いている。70歳になって最後転居のつもりだったのだが、正しい判断だった。
石垣島で知り合いにになった人は200人くらいはいるのだろう。ずいぶんの人と知り合った。そのほとんどの人が、島の外から引っ越してきた人だ。石垣生まれの人とはほとんど知り合っていない。崎枝小学校の生徒は田んぼを一緒にやっているので、知り合いではあるが、その両親は移住者である。石垣島で知り合った移住者人はみんな実に個性的な人だ。
その理由はわざわざ石垣島で暮らそうと言うことで、人間がふるいにかけられているからだろう。私を含めてそう思うのだが、思い切った、つまり切り捨てるところがなければ、石垣島に越してこようとは思わないはずだ。何か様々な思いがあって、あえて石垣島に越してきた人なのだろう。
あと25年石垣島で楽しく暮らすことが出来そうだ。引っ越す前の3年ほど、沖縄旅行を繰り返した。絵を描きに来ていた。田んぼのある石垣島と小浜島、与那国島、西表島が絵を描きたくなった。最終的には老人の生活条件が整っている石垣島で絵を描きたいと決めた。
街と人間の空気が一番肌に合っていた。この向き不向きは実際に来てみて確認する必要がある。石垣島は山あり川あり海ありの、素晴らしい場所である。その上何の不便もない。買い物や病院など不便はない。ある意味東京以上に便利なところだ。1時間行けば何でもある。都会にないものもあるし、都会にあるもので私に必要なものはある。
特にのぼたん農園の冒険を始めたことで、日々冒険に満ちていて、水がどうなったかなど考えると、今すぐにでも農園に行きたくなる。石垣にいて農園に行かない日はただの一日もない。なんともいえないほど楽しく過ごしている。
自給農業を発見して行くこと、自分の絵を捜して描くには実に良い場所なのだ。一年中暖冷房のないアトリエカーで絵を描いていられる。アトリエカーの中で暑いとか、寒いとかで、困ったことがない。蚊も風のおかげで入ってこないのでありがたい。
冬がない。夏は風が吹くので涼しく過ごせる。太陽が真上だから、日差しが車の中に入らない。画面に光線が当たらない。絵を描いていて実に軽快だ。気分転換に田んぼに行く。畑に行く。自由気ままである。トラックターやら、草刈り機、ユンボ作業とこれも楽しい。もう何の不満もない。
ただ、石垣島に合わない人もいる。石垣島に引っ越してきてもすぐに、あるいは2,3年で戻ってしまう人も沢山いる。人口5万人弱の離島である。独特な個性的な空気がある。それに合わない人もいるに違いない。厳しい個性の強い土地であることは確かだ。繊細で傷つきやすい人には辛いかもしれない。
石垣島の人は概ね強面である。どこか恐ろしげな印象である。強さの苦手な人はあれでダメらしい。本当は優しい人が多いのだが、何となく怖い印象を人に与える人が多い。重要な点は余所から来た人は、少し損な目に遭うくらいでちょうど良いと言うことになっている。このある意味理不尽を受け入れないといけない。
そんな馬鹿なと思うかもしれないが、石垣島に暮らさせて貰うと言うことは、この島を支えてきた人たちとは違うという自覚がなければ、気持ちよくは暮らせないのだと思う。所がそうしたホンマもんの島の人も実は少数派で、100人ぐらいの友人の中に、2,3人である。
役所の対応などで言えば、明らかに島の人とよそ者では扱いが違う。島のインフラを支えてきたのは、一時利用するお前たちではない。というような差別意識を感じる。農地を貸して貰おうとしても、まず紹介がスムースには行かない。人を見ている。その理由がよくわからないが、今は行政には期待していない。
建設会社などでも、島の人とよそ者では提示価格も違う。忙しいのだから、嫌なら止せばという感じで突き放される。それでも一応表面上は、なんでもやりますよと愛想は良い。今も琉球石灰岩を2トン車で10杯分頼んであるが、やりますよと言いながら、半年以上もそのままである。まあそのつもりで頼んでいるので心配はしていないが。この間確認は3階した。このてぇーげぇーさになれることが石垣島暮らしである。
農場に捨てられた車を片付けようとしたときも、頼んで1年以上相手にしてくれなかった。何度も頼みに行って、どう言う訳か、暮れも押し詰まってから急にやってくれた。行政が片付けなければ、農地転用の許可を出さないというので、まあこれも意味不明なのだが、困っていた。ともかく突然やってきて始末してくれた。
こうしたことの繰り返しで暮らしているのだが、別段腹を立ててはいない。よそ者はそのくらいでちょうどだと思っている。だから私のようなダメでも良いじゃん人間には実に暮らしやすい。つまり同じくらい「テーゲェーで良いわけさぁー。」この緩さが暮らしやすいと思っている。
この美しい自然を残してくれたのは、石垣島の人である。石垣島の田んぼを続けてくれているのも、石垣島の人たちだ。それだけで十分ありがたい。大変だったことだと思う。長い歴史の中の、島のお百姓だからこそ出来たことなのだと思う大事業である。感謝仕切れない思いがある。
石垣島の素晴らしさだけをよそ者が、堪能させて貰っている。これほどの申し訳のないありがたさはない。のぼたん農園をまたとない美しい場所にして、次の人につなげて行きたいと考えている。そうでなければ、石垣島をここまで素晴らしい場所にした人たちに申し訳が立たない。
しかし、石垣島の美しさも今が最後なのかもしれない。心配になる。自衛隊基地が出来て、また隣地を広大に買収する計画が進んでいる。多分ミサイル基地の準備なのだろう。さらに飛行場も、港も、軍事転用に備えている。何しろ市長が、軍国主義者なのだ。日本の進路が狂い始めているのだろう。
その市長を良しとして、石垣市民が選択しているのだから、よそ者がどうこう言うこともどうだろうか。だからといって、石垣島には軍国主義者が似合うわけではないだろう。そんな武力的な人は、石垣島ではどう考えても少数派だ。
その少数派が、島の経済を主張して、防人の島に誘導している。よそ者はこの異常事態を受け入れて、我慢していなければならない。のだろうか。そんなはずはない。なんとかこの暴挙を止めるように努力したほうが良いのだろう。それが石垣島に引っ越した人の役割だと思い暮らしている。
選挙で基地反対市長を選ばなければならない。それが石垣島をこれ以上の防人の島にさせない唯一の手段だ。といっても表だって、よそ者が反対をするのは逆効果になる可能性がある。静かな反対者。平和主義のサイレントマジョリティー。努力もしない平和主義。
まあ、こんな私のようなてぇーげぇーな人間が、石垣島向きなのだと思う。何のストレスもなく、楽しく暮らせる。言いたいことを言って、やりたいことをやらせて貰っている。あれこれ配慮するような、神経の繊細な人は暮らしにくい場所なのかもしれない。
一つ忘れていたのだが、石垣島は暑い。特に夜の気温が高い。25以上の熱帯夜が5月から10月までの半年は続く。すでに昨夜も23度である。寝苦しい日が多い。これはクーラーがなくては眠れないと言うことになる。半年はクーラーをつけっぱなしになる。暑がりな人が、一番向かない人かもしれない。