小田原から石垣へ

   


 小田原生活を終えて、成田空港から石垣への直行便に乗った。ピーチである。格安航空機と言うことだが、私には格安どころか十分である。その時の都合もあるが、ともかく安いのでピーチに良く乗る。二万円ちょっとで小田原石垣を往復できる。

 東京で用事があり、半蔵門線で押上げまで行きそこから成田の東武ホテルまで行って、その日は宿泊。気を付けなければならないのはバスは成田空港ターミナルまで行ってから東武ホテル行きのバスに乗った方が良いことだ。成田で降りたら苦労した。

 朝7時20分の飛行機なので、早朝6時のバスと考えていたのだが、ついつい眠れないので、5時30分のバスで空港に向かった。この頃いくらでも余裕があった方が良い。ともかく同時に二つのことが出来ない。一つをやると一つを忘れるのだ。




 何故か第二ターミナルで降りてピーチを探していた。どうも様子が違う、よくよく地図を見たら第一ターミナルにピーチはある。いつも間違えたことなどないのに、ホテルのバスできて様子が違った。それでも早すぎるくらいだから、問題はなかった。

 その日の都合かも知れないが、ピーチの方がJALより沿岸を行く。上空から見て眺めがおもしろい。小田原上空である。酒匂川がよく見える。上空より見ると河のすごさが分かる。私の家が見えることがある。この写真だと左に切れている。山の中にある家だ。



 富士山はいつ見てもおもしろい。この富士山を記憶していて、時々絵を描く。今回は残雪の残り方と、手前の雲に見とれた。さすが面白い形だ。この写真から絵は描けないが、記憶から絵は描ける。記憶は絵のような物だ。


 石垣島に着いた。あっという間である。この島の素晴らしさが上空からでも分かる。素晴らしい島に住ませて貰っているありがたさ。飛行機の中ではみんなの囲碁をやっている。みんなの将棋もやる。退屈はしない。





 ここまでで石垣までの飛行機からの写真は終わる。

 
 ここからは小田原の農の会の畑やたんぼ。舟原溜め池上の畑。ここに玉ねぎと、ジャガイモと、小麦の畑がある。手前は東さんの大麦。上の方まで全体で4反ぐらいか。

 イノシシと鹿がでるので、厳重に網が張ってある。何とか防いでいる。


 溜め池の草刈りが終わったところ。奥にはマコモダケのたんぼが見える。刈り残してあるのがカキツバタ。カキツバタも大分広がってきた。これは小田原へのお礼だと思っている。15年間暮らさせて貰った感謝の印が、カキツバタである。

 溜め池の整備から、草刈り管理。そしてカキツバタの池にするための管理。
花を嫌いな人は先ずはいない。ここにカキツバタが咲き乱れるようになれば、必ず誰かがこの場所を誰かが守ってくれるだろう。もう一息である。

 こうした農業遺構は不用な物として消えて行く。私には小田原城よりも大切な物なので、舟原溜め池はどうしても残さなければならない。小田原城よりも、元治の溜め池 に注目しなければならない。人間の未来のためには武士の歴史よりも庶民の歴史の方が重要なのだ。


 これほどきれいに手植えで植えられるのはすごいことだろう。線の引き方が素晴らしい。縦から見ても、横から見ても、斜めから見ても筋が通っている。30セ
ンチ角植えである。

 
 ここは9番田んぼで、笹村が手伝うことになっているたんぼ。 この写真を撮ったのは、苗が実は野菜の苗箱蒔きと苗代直播きとがある。その違いが出るのかどうかを見たいからだ。中央のたんぼの右側が苗箱蒔き。左側が苗代蒔き。苗箱の方がいくらか緑が浅かった。



 田植えの終わった欠ノ上のたんぼ。苗代で作った稲を、手植えで田植えをした。二日間の参加者は27名と40名だった。一日でも出来たものだが、日曜日しか来れない人がいるので、二日の田植えになった。田植えが終わるとすぐそば殻を蒔く。


 マコモダケが又再生してきた。一度取り払ったのだが、根がいくらか残っていて、又このように密生した。一度作った場所はもうほかの物を作るのは難しい。キクイモと同じだ。

 
 収穫して、葉と根を切って、家の縁側に干してある。これで365個以上はあって、1年分の玉ねぎである。良く出来た方である。コンテナで三つ。おく手で比較的保存性の良い品種。今度行ったときに石垣に送る予定。

 奥にあるのが大麦。家の脇の分だけ今回刈り取った。おおよそ100キロ。これも廊下に干してある。ビールにする予定だ。
 

 - 石垣島