東京国立博物館の琉球展

   



 今回の小田原滞在では、東京国立博物館の琉球展は是非とも見たいと考えていた。水彩人の会議が3時40分に終わったので、地下鉄の京橋の駅に走って行って、上野の博物館に4時20分についた。閉館迄40分だけ見ることができた。私の中の琉球国がかなり具体化した。

 初めて見るというものは少なかったが、まとめてみることができたという事はとても良かった。琉球国というたぐいまれな、武力ではなく文化によって国を治めていた国があった事が幻想ではなく、確かにあったのだという事を事物を通して感じることができた。武力を持てなかった国の平和主義が、文化国家である。

 琉球国の平和主義は、危機が高まっている世界に示してゆくべき文化である。文化の高さを示すことで、国の統一をはかり、周辺国の尊重を得る。これほどおいしいお酒があり、洗練された琉球舞踊に、三線の音楽。日本や中国の外交団を接待して、平和を維持した。

 この琉球展は「沖縄復帰50年記念展」という添え書きがある。復帰50年の表記には違和感がある。琉球国は江戸時代までは独立国家である。1879年琉球処分というものがあり、一方的に日本に併合された独立国家なのだ。琉球国は国家として、450年あるいは500年の歴史を持っている。日本国の支配により、1903年になり、宮古八重山の人頭税はやっと廃止されたぐらい、別の独立した領域なのだ。

 展示品で圧倒的なものはやはり数多くの織物である。琉球の文化を考える上で重要な遺物はやはり織物になる。これは琉球弧全体に広がっているものだ。苧麻、芭蕉、絹、木綿、そして琉球藍による多様な色調の染色。そして紅型の明るい色彩。23もの国宝の衣装が図録にはあるが、残念なことに展示は一部づつの展示のようだ。出来れば琉球の衣装展として、まとめて展示する機会が必要だと思う。そうすれば、琉球の織物が世界でも最高水準であったことが見えてくるはずだ。

 事物ではなく、舞踊や音楽文化は極めて高度なものが別に存在し。むしろそれが琉球文化の根幹をなしている。琉球国の姿がそこに浮かび上がる。これを併設して、映像でも良いので表現すべきだったのではないか。ともかく展示物としては織物である。

 緻密で高度な織の技術と琉球独特の意匠感覚には改めて感動を覚えた。宮古上布の、あの極限に薄い布におられた文様は神秘すら感じた。あでやかな色彩と、極めて地味な色調。両極のものが違和感なくリュウキュウなのだ。日本本土にもすごい織物はあるのだが、琉球の織物はそれ以上のもので最高級のものとして世界に誇れるものだ。

 織物は現代にも通ずるもので、宮古上布と呼ばれる布は特に素晴らしい。苧麻を用いて織られていて、その極細の繊維を紡ぐ技術は卓越している。紡ぐ糸は強く、細くよられる。その模様の絣の細やかさは極限ともいえる。琉球藍で繰り返し染めることで糸の濃度が巧みに変化させられている。以前小さな古切れ布を宮古で購入したことがあるが、見飽きることがない。

 日本民芸館にあるもの。沖縄県の歴史博物館にあるもの。この両者が揃ってみられたことは有難かった。さらにノロの衣装の蝶のパッチワークには度肝を抜かれた。これは凄い。ある意味アナーキーである。アングラ的な印象である。



 「ハビラハギギン」19世紀の物。蝶の形の布を継ぎ接ぎした着物。祭祀であるノロの衣装である。蝶を天の使いとしていたと言われる。東京国立博物館所蔵のもので初めて私は見た。これを上着として、下には巻きスカートのような白いひだの多いものをまとう。

 これはまさに琉球文化の特徴をいかんなく発揮している。この感覚の高さは日本本土の水準を超えていると思った。洗練された土俗とでもいうのだろうか。前衛舞踏の衣装と言っても全く不自然さがなく、しかもそれが天空的美に包まれている。

 沖縄に飛び交う蝶を神の使いとして、3角の布に移す。蝶を張り合わせて、身にまとう。そしてノロが化身となる。優雅であり、土俗である。そして洗練かつ大胆。琉球文化にあるこの幅ある揺れ。このことは文化の突破になる。大いに絵を描くうえでも学ばせていただいた。

 もう一つ驚かされたものは中国明の皇帝から文章である。弘治帝勅諭というものらしいが、1487年とある。景泰帝勅諭1454年これは見れなかったが。この勅諭の文字の素晴らしさである。何という威厳があり、美しい文字であろうかと思う。中国が文字の文化の国であり、外交文章としての必要不可欠な、立派な文字である。

 一方残念なことに琉球国の絵画はダメだ。沖縄らしい絵画というものがない。宮廷絵画の花鳥画は詰まらない。中国の花鳥画を模写しただけのものだ。屏風や巻物の絵も残念なものである。何故、文様や意匠は素晴らしいものを作り出したにもかかわらず。絵画は平凡で陳腐なのか。これは現代にも続いていて、沖縄文化は工芸品に優れていて、芸術作品としては個性に乏しいと思う。

 今回、焼き物では八重山の新城島出土という土器はすばらしい。パナリ焼きという。そもそもは水がめである。そののち仙骨後の骨を治める壺として使われたもの。形の素朴さと肌合いの美しさはな
かなかのものだ。シャモットとしてサンゴ砂が混ぜられている。
 
 そのほか驚いたのが黄天目茶碗の小堀遠州が持っていたものの展示。この茶碗はかなりすごいものだ。国宝級である。これが何故琉球なのかはよくわからないが。中国で焼かれたもののように見えたが。どういうことか、良く分からなかった。

 もしこんな完成度の高い天目が琉球にあったとすれば驚く。良く図録を読んだらやはり中国のものだ。展示が琉球の物かのように見えてしまう。誤解した人もいるかもしれない。小堀遠州が琉球から来た茶碗の台を組み合わせたというが、もし本当であれば感覚がおかしいとしか思えなかった。あの茶碗の素朴な魅力に添え物は邪魔だ。

 文化という意味では沖縄は中国からの影響と日本からの影響を受けながら、琉球国で育まれた生活の中から産まれた、色彩の感覚と、形象的な造形意識を衣服というものに昇華させた。15世紀に中国に流れ着いた漁民の衣服を見た地方の役人が、東に高度な文化人がいると驚いて政府に届け出た記録が残っている。
 
 沖縄返還50周年に合わせて開かれたこの展覧会が、実は沖縄が返還されたのは沖縄へであり、琉球国へである。日本への返還ではなかったことを証明するための展覧会のように見えた。琉球は琉球であり、琉球国である。独立の国家と言ってよい、見事に一つの文化を形成している。

 ところが、国の認識では復帰である。一体琉球国は日本に復帰するのだろうか。確かに日本国は琉球国を隷属させた。しかし、あくまで独立国家としての琉球国が存在したことは歴史的事実である。それは戦後まで意識としては沖縄でも、本土の日本人にもその意識は継続していた。それが戦時中も沖縄差別が悲惨な沖縄戦になり、その後の米軍基地の沖縄偏重に繋がっている。

 戦争で悲惨に踏みにじられ、そのままアメリカの統治である。ある意味沖縄県は日本になって50年と考えた方が、実態に即した歴史認識になるのかもしれない。沖縄県が日本になって50年展というのが正確な表現かもしれない。

 - 石垣島