身体を見ることの重要性

   


 
 自分の身体は自分で見なければならない。身体の声を聞かなければならない。お医者さんに見ていただいても、どれほどの医療機械を利用しても身体の声を聞けるのは先ずは自分である。自分の身体の中を自分が感じて、表現する練習を行う必要がある。

 痛いと言っても様々である。チクチク、刺すような、焼けるような、しくしく、脈打つようなズキズキ、ピリピリ。ずーんと鈍い痛み、締め付けるような、鈍痛、錐で刺すような。電気が走るような。しびれるような。重たい感じ。

 身体には痛みの違いを認識できる感覚がある。その痛みを言葉化する訓練も必要である。人間良く出来ていて、強い痛みは記憶から抜けるように出来ている。これらの痛みははあくまで学習して自覚できるだけのことだ。小さな子供はただ痛い、痛いだけである。

 痛みの違いを学習して表現できるようになる。体験したことの無い痛みであれば、それがどんな痛みかを表現することは難しい。しかも痛みというのは余りに強いと、忘れるように出来ている。何時までも覚えていれば耐えきれないからだ。

 痛みだけ出ない。自分の身体からの信号は実に様々である。これをいち早く察知することが、自分の身体を守ることが必要になる。特別なことがあったのではないが、何かおかしいと急に予感がして、病院に行き深刻な病気が発見されたという話は、時々聞く。

 何かがいつもと違うということで、病院に行ったこともない人が病院に行く。この予兆を聞けるかどうかは重要である。いつも自分の体に気をくばり、通常がどういう感じかを把握しているからこそ、何かが違うという予感がすることになる。

 この頃とかく熱を測る機会がある。あちこちの入口に温度計が備えてあるからだ。あれは実に良い。あれで私の平熱が36.5度である事が分かった。ほとんどの場合がどこで計っても36.5度である。実に安定している。体温計の狂いが分かるのでは無いか。と思うほどである。

 しかし、本来朝と夜では体温は違うはずだ。寝ているときが低くて起きれば高くなるらしい。しかも、直腸で計れば、37度以上あるはずだ。おでこならば36.5度。大切なことは自分が体調が良いときの体温を知っておくことだろう。

 体重も計るのも好きな方だろう。55キロを越えたならば、夜酒を飲まないことにしているので、最低夕方一回は計る。以前は朝も風呂に入り必ず計っていた。朝の方が体重も低い。朝動禅体操をするときは汗をひどく掻くので、着替えるついでに風呂に入る。

 毎日二回体組成計で計測する。血圧計で血圧も測る。腕時計にある様々な数値も時々チェックを入れている。その数値が正しいかどうかよりも変化を見ている。変化すれば何か原因がある。いままで特別不安になるような変化は無い。

 自分の身体のことをよく感じなければならないと考えている。八段錦をやりながら、その日の自分の身体のことを確認している。呼吸が浅くなっていないか。動きの悪い部分はないか。どこか変調個所はないか、身体の隅々まで感じてみる。

 最後の爪先立ちでは心のチェックをしている。心に気がかりなことがあると、この時に分かる。心を平静に保つように、鎮めるような努力をする。多くの病は心から始まる。気持ちが強く安定していれば、病を退散させることが出来る。

 動禅体操は身体を内観し、健全に保つために役立つ。継続するのは難しいことだが、続けるだけの価値がある。歳をとって、身体が衰え始めてからそういうことに実感が出てきた。遅いと言うことはない。生きている内に気付いただけ良かったと思っている。

 具体的な身体の見方である。身体の隅々までゆっくりと内観する。足の指から始めて、身体の各部署を感じてみる。そして内蔵も感じてみる。内臓は何も感じないのだが、お腹が重いというようなことはある。胃はどうか。腸はどんな具合か。気管支、肺は気持ちよく機能しているか。

 この辺はなんとなく感じることが出来るだろう。膵臓はどうかとか、肝臓はどうかとかは分からない。それでも分からないなりに身体の中に変調はないかは感じるように努力をする。もしかしたら変調を感じられることがあるかも知れない。

 一通り自分の感覚で自分の身体をたどる。この習慣は案外に大事だと思っている。動禅体操のなかでそれぞれの動きと組み合わせて感じるようにしておくと良い。内臓を感じやすい動きというものもあるので、それに合わせて自分にあったように八段錦の中で内観をしている。

 1段は全身の調和。2段では手足。3段では腸の状態。4段は首と背中。5段では胃。6段が肺。7段では活力。8段では心と頭。これは私の場合で人それぞれだろう。なんとなくそうなってきた。8段錦は呼吸法なのだが、同時に内観が出来る動きでもある。8段錦は素晴らしい体操である。

 すべて段での見方が、私なりにある。1段は大きな呼吸である。深呼吸をしながら、身体全体の調和を確かめている。何かゆがみがあれば、咳が出る。身体に充
実と調和があると、落ち着いてできるだけゆっくり呼吸を限界まで行う事ができる。
 
 8段では心と頭の確認である。この爪先立ちは心に乱れがあれば、身体がゆれてしまい眼を閉じて200数えるまで、爪先立ちを続けることは出来ない。私は200で丁度良いようだが、300の人も居るかもしれない。頭が働いてしまうと身体はゆれてしまう。

 すべての運動が終わるときに立禅を行う。この時に呼吸をしながら身体の中を浄化する。呼吸ですべてを、特に脳の中を洗い流す。だから立禅は行う長さを決めないで、ゆっくり呼吸で洗い流しながら、充分に邪気を払いつくすまで行う。おおよそ10呼吸で終わる。

 身体を見て、感じることはなかなか難しい。難しいことでも繰り返している内に案外出来るようになる。これが日課という物だと思う。毎朝日課を行うと、自信を持ってその一日を行うことが出来る。今日も元気で一日を生きることの確認。

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