トランプ支持者が7000万人の理由

   



 アメリカの大統領選挙はアメリカ時代の終焉劇を見ていたようだ。4年前まさかトランプ氏が当選するとは思わなかった。つまりアメリカの正義とか、民主主義をまだあの頃は少し信じていたのだ。トランプ氏ほど子供じみた独善人間を支持するアメリカ人が多数派になるとはさすがに思えなかった。

 ただ、トランプを支持する7000万人のアメリカ人の本音が少しも分かっていない。なぜ、不正選挙が行われたというトランプの証拠の無いデマに、簡単に乗せられてしまうのだろうか。それほどアメリカ人が知性が無いとも思えないのだ。何か見えていないものがあるとしか思えない。

 アメリカはどこかで歪んでしまったと思える。しかし、これは歪んでいるのでは無く、トランプに投票しなくてはいられない人達が7000万人もいるという実態があるのだ。それはアメリカの衰退を感じているからではないだろうか。アメリカも格差が広がっている。
 トランプの掲げたもの。既成政治の打破。反移民。米国第一主義。利己主義的な主張ばかりである。環太平洋パートナーシップ(TPP)協定からの離脱。WHO脱退。エネルギー資源開発に係る規制緩和。世界一富める国の焦りのようなものを感じる。

 こうした政策を7000万人が熱烈に支持し、さらなるアメリカ独善主義を期待しているのだ。橋下徹氏がトランプと似ている。独善で人の話を聞くことが出来ない。前向きの変革の実行力は頼りになるが、間違った論理でも余りに固執して鼻持ちならなくなる。大阪都構想の住民投票を二度もやる必要は無い。
 橋下氏もトランプ氏も競争主義者で、弱者を尊重する民主主義者では無いということである。ところがむしろ貧困層のアメリカ主義者が一番強くトランプを支持しているらしい。民主主義はいつも優柔不断で決断が出来ないように見えるものだ。

 こんな三歳児のような大統領に投票する人がアメリカ人の半分なのだ。何というひどい状態に落ち込んでしまったのであろうか。このひどい国が世界一の大国なのだ。偏った形で富めると言うことは良いことばかりでは無いと言うことだろう。能力主義というものの醜い側面をさらしている。

 アメリカの正義の崩壊は、人ごとではない。日本ではアベ長期政権から、スカ政権と訳の分からない継続である。そして、学術会議の任命拒否で、実にいやらしい政治手法が始まっている。しかもそのやり方を多くの日本人がおかしいと思わない状態に成っているらしい。その原因が理解できない。何か世界の政治がおかしくなり始めている。

 独善の大統領が4年間世界を悪い方向に進めた。強いものは弱いものを虐げて良いという方向だ。世界の格差は広がり、各国の関係は対立的になってしまった。アメリカと中国の関係はかなり深刻なところに進んだ。そして、EUからはイギリスが離脱してしまった。

 結局の所、資本主義経済が行き詰まり始めていると言うことなのだろう。行き詰まった資本主義が、独善に走った形が、新自由主義経済という弱いものを食い物する経済なのだろう。日本はアベ政権時代に貧富の差が広がってしまった。貧困率は先進国中最悪と言われている。しかし、そのことが社会の中に埋もれてしまい、見えない形になっている。

 誰もが努力したとしても100メートルを10秒で走れるわけが無い。能力には天性の違いがある。100メートルは20秒かかるかもしれないが、未来を見る力は抜群かもしれない。10秒の者と20秒の者が二人三脚をしているのが社会なのだ。20秒のものを置き去りにすることは社会の利益には成らないのだ。

 社会は多様であり、能力に違いがある事が前提でなければならない。すべての人が幸せになることが目標である。特別の大金持ちを作ることは社会の目的では無い。目的で無いどころか大富豪など反社会的な存在なのだ。トランプ氏はアメリカ大統領にまでなったが、不満に満ちあふれた不幸な人にしか見えない。アメリカをだめにしたワースト大統領として語り継がれることだろう。
 
 目に余るアメリカの一国主義が世界をダメな方向にねじ曲げた。正義を主張するより、自国の強欲に従うのが当たり前だという流れを作った。世界の風潮にしてしまった。それに乗ずるように、中国はアメリカもやっているではないかと、香港に対する抑圧のように、覇権的行動を露骨に行うようになった。

 中国の覇権主義を許したのはアメリカの一国主義である。強いものが自分だけ良ければ良いのが世界であるならば、中国が覇権主義であることの何が悪いのかという、居直りを許したのだ。アメリカもパリ協定を抜けたでは無いか。中国だけが世界を汚染しているわけでは無いと主張するようになった。

 それはアメリカの新自由主義経済という、強いものが勝者に成るのが当たり前という考え方が引き起こしたものだ。敗者としておいて行かれる普通の国は能力の不足の国として、競争に負けたのだから仕方がないと言うことになっている。伝統に従い、文化を重んじ、堅実にやっている国が、のろまの能力不足の国とされるようなことがまともなこととは思えない。

 中国の国家資本主義には国内の自由競争というものがないから、新自由主義経済には勝てないという考え方をアメリカでは取っているようだが、どうもアメリカの衰退を見ると、悪いものとより悪いものがどちらが勝者になるのかというような、無意味な比較のような気がしてくる。

 中国はもうしばらくすると日本以上に人口構成にゆがみが生じてくる。国家運営は極めて困難を来すと思われる。その時さらに極端な国家運営を打ち出すことだろう。競争主義は遅れ始めたときこそ真価が問われる。果たして中国は予測される困難を乗り切れるだろうか。

 人間がほんのとうに力を出せるのは自分のためだけで無く、人のためにも成ると実感できたときだ。自分の役割を社会の的な物と自覚できたときに人間はその能力の限界を超えるのだと思う。だから、強制されてやることや、自分のための利益だけを考えてやることには限界がある。

 このように考えれば、新自由主義経済も、国家資本主義も、正義の国の自由経済には勝てないはずである。たまたま、資源があるとか、条件が良いと言うことがあったとしても、そんなことは一時のことであるし、そもそもそうした資源に頼るような経済には未来などあるわけも無い。

 その国の価値は経済だけではない。もちろん武力でも無い。資源多さでも無い。人間である。すばらしい人間がいて、高い芸術文化を享受できる国が良い国なのだ。その意味で世界は次第に衰退しているというしかない。他の分野のことは良くは分からないが、絵画分野では世界全体が明らかに衰退してしまった。

 日本が目指す方角はアメリカでもない。中国でも無い。文化を大切にする心豊かな共生の国だ。見事な人間が暮らす国であれば、競争に負けてもかまわない。食糧自給の出来る国であれば、幸せな国でいることは出来る。武力など無くとも安心立命できる国を目指さなくては成らない。

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