第14回 水彩画 日曜展示
第14回 水彩画 日曜展示
43,「崎枝の田んぼ・夏の田植え」
クラシコ・ファブリアーノ
中判全紙565×765
2020.8
44,「名蔵アンパルの田んぼ・夏の田植」
クラシコ・ファブリアーノ
中判全紙
2020.8
45,「名蔵湾沿いの田んぼ・夏の田植え」
クラシコファブリアーノ
2020.8
夏になり、石垣島では二期作目の田んぼに水が入った。去年も夏の田植えを見たはずなのだが、二期作目を作る田んぼはまばらだった。何故か今年は去年よりも多くの田んぼが代掻きをしたのかと思った。そこであわてて絵を描いた。
実はそうではなく、記録的な雨が続いてどの田んぼも水がたまっていたのだ。そうとは知らず、この夏は田植えのすばらしい光景を描けるぞと張り切って、田んぼを回って歩いた。
亜熱帯の気候である。その上に夏の風景である。草原は夏枯れしている所もある。田んぼの様子が慣れた風景とは違う色になっている。それにしてもまばゆい強烈な光だ。水だってお風呂のようになっているのではないか。こんな状態でも田植えが出来るというのだから、イネはすごい植物である。
今回の田んぼ絵は自分の絵になってきたのかなと言う気がしてきている。この三点の絵は自分の絵の入口にあるような気がしている。この後五点の絵を描いているが、少し絵が楽になって来ているところがある。
こうして、絵を展示するということにしてから、絵を終わりまで描こうという気になっている。分かるところまでしか描かないというのが、これまでの描き方だったのだが、それだとどうしても自分に甘くなるところがあった。
目の前の絵が途中で合うが故の可能性のようなものを見てしまう。展示をすると言うことを決めたので、行き着くところまで行こうという意識が働く。絵はもうここまでかと、思う先がある。
まさかこの先がと思うように最後の一押しで絵が変わる。この一押しが絵になるかならないかの境だと思うことがよくある。どこで絵を終わりにするのか。終わりはなく、絵は途上なのか。絵を台無しにしそうでやれないというようなことでは話にならない。
この三点を描く前に描いた、鳥放つの絵の四点がいいきっかけになっているかもしれない。この四点の絵はアカショウビンをカラスの総攻撃から助けた記憶に基づいている。鳥の絵もそのうち、展示したいとは思っている。
この調子で行ければと思っている。70歳の一年間は順調な滑り出しの年だった。この後29年間。百歳に向けて絵を描ける喜びがある。不要不急の自粛生活であるが、このまま人に会わずに暮らして行くのも悪くはない。