コロナ第2波対策の出来ないアベ内閣は退陣を
コロナ対策を放置しているアベ政権は、即刻退陣して貰わなければならない。この期に至って憲法改正をして、緊急事態条項を作る等と寝言を言っている姿は、まともな政治の限界を超えている。緊急事態どころか、やっているのはGO TOトラベルだろうが。大いに旅行しろと国民にけしかけておいて、一体どこに緊急事態の認識があるのか。
アベ氏はどこまで行っても憲法改正オタクだ。憲法を発言していれば、押してくれるオタク仲間がいるのだ。ゴーツートラベルと緊急事態法が一緒に出てくるぐらいだから、コロナの第2波への対応はまるで無い。政治には無能な軍国オタク勢力に過ぎない。
世界にはブラジルのボルソナロ大統領のような、コロナなぞただの風邪に過ぎないという人がいる。誰でも自由に意見は述べるべきなので、コロナなど気にするなと言う見解が一部にあるのも分かる。どんな意見でも自由に発言すべきだ。しかし、科学的な論理で語って貰いたい。そしてその結果には、立場立場の責任を感じる必要がある。
ボルソナロ氏はコロナ陽性と診断された期間も、マスクをせずに出歩いていたと言う。ただの風邪だから心配ないと言うことらしい。当人はそれで回復したらしいから問題ないが、この大統領にはうつされて重症化する年寄などの心配はないのだろうか。
コロナの一番の問題点は医療崩壊にある。コロナの重症者はとても治療に手が掛かるようだ。アメリカでは直って良かったのだが、13000万円の医療費だったという話がある。一旦病院がコロナ指定病院になれば、他の患者を受け入れる余裕がなくなるらしい。この間他の患者の手術も出来なくなった病院もあると報道されている。私は人工呼吸器が不足したら、最初に外して貰って結構だ。
アベ政権は憲法改正をして緊急事態法を作ると主張しながら、一方ではコロナの状況は緊急事態宣言をする状況にはないとしている。口にするのは相変わらずの自粛要請である。政府の説明する自粛の意味がどうにも理解しがたい。会社は70%自宅で仕事をしろと言うことらしいが、守れない企業はどうしろというのだろうか。
コロナウイルスの性格は大分見えてきた。例えば、パチンコ屋では感染しないが、ホストクラブでは感染する。風呂屋も大丈夫だが、カラオケは危ない。ジョギングは問題ないが、スポーツクラブはクラスターが起こりやすい。自転車通勤はいいが、地下鉄の混雑は良くない。
野外での感染例は極めて少ない。しかし、小劇場やライブハウスのような狭い空間に人が集まるところで、大声が出されれば感染クラスターが起こる可能性が高まる。人間同士が接触するような所も感染が起こる。それは間接的なものを通しての接触でも同じ事である。
感染しないためにはどういう生活をすれば良いのか、科学的な判断が出来るようになってきた。潮干狩りも、海水浴も距離感すら間違えなければ、問題は無い。マスクをすべき場所と、マスクなど不要な場所も分かってきた。マスクはどちらかと言えば、気をつけていますという合図のようなものだ。散歩中のマスクは不要だ。
自粛と言っても人間が何ヶ月も強制力なしに自粛など出来るものではない。論理的に考えればそれが人間だ。どこかで発散できる場が必要だ。大声だって出した方が良い。場をわきまえると言うことさえあれば、自粛しないでも良い場もある。このまま笑いのない新しい生活様式では人間が人間でなくなる。
最近はお店に入る都度アルコール消毒が普通になったが、あれもお互いの合図である。私は感染していないから、そんな必要は無いと考える人がいる。あるいはコロナなど、風邪の一種だと軽視する人がいる。アルコール消毒は「私はそんな特殊な人ではないです。気をつけています。」と言う踏み絵を踏んでいるのだ。
先日石垣のテイクアウトのお店にカレーを買いに行った。幸いガラス窓があった。窓を開けて貰い受け取ろうとしたのだが、ダメだというのだ。アルコール消毒をして、ドアを開けて入ってきて、カレー弁当を受け取れというのだ。なんとなくそのお店お店にルールがあり、それがコロナ対策の徹底なのだなと思って、浅はかな態度を反省をした。
石垣ではどこのお店でもかなり徹底した対策をしている。あれを見ていると先ずはお店では大丈夫だと思う。まあそれでも私はお店で食べることは出来ないのだが。持帰りではあちこちでよく食べる。テイクアウトが増えて嬉しいくらいだ。一度食べてみたいと思いながら、少し敷居の高い店でもテイクアウトで食べさせてもらえた。
国会議員も感染者が出ない。感染したら次の選挙が危ないと言うことで、公表が出来ないのか。全体にコロナ対策が大分見えてきている。それでも感染数は増加している。政府は感染を広げないと言うことが、一番の経済対策でもあると分かっているのだろうか。こんな場面で大いに旅行をしなさいはないだろう。こんなデタラメを言われたのでは自粛をしろとはどこの国の話だと言うことになる。
ホストクラブでの大宴会も、分からないではない。感染したって関係の無い人達にしてみれば、自分の生活を守ることが一番だろう。当然のことである。年寄の人達が怖いなら、オレ達に近づくな。と言うことなのだろう。そういう人達は必ずどこにでもいる。感染など気にしない人達をどうするかである。
若い人が感染しても軽症であるか、何でも無いかである。そこで若い人が自由に出歩くのも当たり前としなければならない。その権利もある。一方年寄は感染するとそれなりに重症化する人がいる。そして死亡率もただの風邪よりも深刻である。若者ではなく、年寄の方が大いに気をつけよう。
年寄はともかく出歩かないことだ。経済のためを考えたら、年寄の外出禁止命令が出来れば一番である。これで医療崩壊が防げる。年寄が若者には距離を置くしかない。年寄は高度成長で良い思いをしてきたのだから、これからは我慢の自粛だ。どうせ年寄は不要不急が多いわけだ。少なくとも、私はそうだ。年寄が自粛することが日本のためだ。
若い人はできる限り自由な暮らしをして貰う。一方で70歳以上の人は外出禁止である。これが唯一医療崩壊を防ぐ道である。こういうことは政府には言えないのかもしれない。それなら、年寄が自ら自粛するほか無い。と言いながら、稲刈りには又小田原に行きたい。10月には第2波が治まっていることを祈るばかりである。
そうもうアベ政権には何を言っても無駄だ。アベ政権は対策をすべて放棄したのだ。政府が対策がない以上、後は70歳以上の国民がもう一度自粛で頑張るほか無い。若い人の未来のためなのだから、我慢も出来る。