第7回 水彩画 日曜展示
第7回 水彩画 日曜展示
19、「名蔵アンパルから屋良部半島」①
中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
2020、6
20、「名蔵アンパルから屋良部半島」②
中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
2020,6
21、「名蔵アンパルから屋良部半島」③
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020,6
クラシコファブリアーノの中判全紙というサイズは56センチ×76センチである。手漉きの時代からの紙の大きさなので、大きさには漉く人によって違いがある。もう一つが大判全紙というものもある。70×105センチだ。これも漉く人でサイズは違っている。
最近では工業用紙の紙基準のAサイズとか、Bサイズとかも紛れてきてしまい。紙の大きさ表示は不可解である。それでも本来の手漉き水彩紙の紙の大きさの意味を大事にしたいと思い、中判全紙という言葉を使っている。
油彩画の大きさを表す。P25号というのが近いサイズになるのだが、この表記だとどうもしっくりこない。中判全紙が水彩画には十分な大きさだ。大きい水彩と言えば、大判全紙までと考えている。それ以上になると、水彩らしい表現から離れて行く。
この3点は長く描いていた絵である。3月から6月まで時々描いた。田んぼの水が見える頃から、稲刈りの頃まで描いていたことになる。紙は泣いている。紙が泣くとは紙が湿気を帯びて、紙の目止めである礬水(どうさ)が効かなくなった状態である。それはそれで描き方によって独特の調子になる。紙は再度目止めをすることも出来るが、泣いたところを生かす描き方が好きだ。
少しずつではあるが、自分の絵に近づいていると思える。何が自分がやりたいのかが、描いている内にわずかづつではあるが見え隠れしてきている。この3点の絵は繰返し繰返し描いて自分に近づく事ができた。何か惹きつけられるところがあるのだが、それがすっきりとは分からないが、間違えずに進んだような気がしている。
描いている時に、何かひらめくものがあった。塗り方とか、色とかである。そういうことの中にやりたいことが繋がるなにかがある気がした。それを進めてみようと、この3枚を、心機一転の気持ちで描いてみたものだ。行き過ぎておかしくなったところもあるのだが、やりたいことに近づいた意識まで描けた。
たぶんこの空間が、私が育った藤垈の向昌院からの眺めなのだ。下の方向に広がる空間があり、向かいにそれを止めるように何かがある。この空の下の世界を描きたくなる。こう言う空間を描いていると安心できる。色彩、筆触、塗り方などにはまだ至らないところがあるが、今後の課題だ。
それで、その続きを松の木のある田んぼの絵6枚でもやることにした。自分にとっては安心して入り込める構図ではないのだ。これは来週の展示できればと思っている。