インターハイ中止が決定
今年のインターハイが中止になったそうだ。頑張って練習してきた選手がかわいそうだとして、有力選手などが取り上げられている。高校の運動部が一流選手だけの、勝つためにあるかのような調子だ。高校の運動部はあくまで教育の一環である。インターハイは本来の運動部の意味から言えば、小さなものでなければならない。
それは甲子園の高校野球も全く同じことだ。どうしてもやらなければならないほどのものではない。高校のクラブ活動として精一杯やればいいだけのことだ。勝つとか負けるとか、そういうこととは別の大切なことがあるはずだ。
生意気な生徒であったから、高校生の時自分が運動をするのは人と競うためではないと自覚していた。自分を磨くために走ることが必要だと考えていた。家に帰ってからも暗い中を走っていた。何かにとりつかれていたわけだ。たぶん自分をすごいものにしたいという病だ。
世田谷高校の陸上部で、インターハイの予選の予選のようなものに出た。出ろと部長に言われたので、出たのだがそれが予選であると言うことすら意識がなかった。後でそうだったのかなと言うくらいである。試合に出ると言うこと自体にも興味がなかった。当時はそういう部員がほとんどだった。今だってそのような運動部員も多いはずだ。
と言っていい加減に陸上競技をしていたわけでは無い。東京オリンピックのマラソン選手の影響があったかもしれない。自分を陸上競技で磨こうと思ったのだ。その頃はすでに僧侶であったので座禅もしてはいたが、座禅では自分を磨くことが違ったのだ。座禅を続けられるほど上等な人間ではなかったと言える。
スポーツという形のあるもので、自分を鍛えて行こうと考えていた。千日回峰行のようなものだろう。精神の強い人間に成れるかもしれないと言う思いがあったのだろう。だから練習は良くやったと思う。しかしインターハイに出れるほど強い選手は遙かに遠い存在であった。1500メートル4分35秒がベストタイムだったような記憶である。
スポーツは残酷なもので、才能次第である。他のことも大抵はそうだと思うが、スポーツほど才能が表面的に表われるものはない。どれほど頑張ったところで、才能のないものは才能に恵まれたものには勝てない。そういうことを知る意味では良い。勝てなくとも弱くともやる意義があると言うことを学んだ。
多くの学校が学校経営をうまく進めるために運動部の強化を考える。私が務めていた、世田谷学園も柔道と空手では全国優勝を重ねる学校であった。しかし、生徒の学業の成績がだんだん良くなり、今は東大入学者数の競争の方に変わった。生徒の減少期に入り、どこの学校も経営に苦労しているのだ。そのようなことと、報道の盛り上げ方で、高校生のクラブ活動がおかしくなっているに過ぎない。
世田谷学園は私は中学、高校と行き、その後父兄として関わり、教師としても関わった。様々に関わったが良い学校だったと思う。今のことはよく知らないが、すばらしい先生と出会うことが出来た。私が居た頃の陸上部では関東大会まで行く選手がたまに居たと言うくらいである。
インターハイの中止がどれほどのことかと思う。評価というものがなければ、やる意味がないとすれば、教育自体を止めた方がいい。まして、野球やサッカーのようにプロになるためにスポーツをするのであれば、少し学校教育とは違う。競輪学校や相撲教習所のようなものだ。
1500メートルに出たと思うのだが、予選落ちである。記録も練習にもはるかに及ばないものだった。足をケガをして、練習が夏にほとんど出来なかった結果だとおもった。とすると夏休み明けにあったのか。何故か、5分近くかかってしまった。4分20秒ぐらい出せば、予選は突破できると頑張っていた。
学校の方も、まず2限目まで出席してからでも間に合うというので、10時頃に出かけなさいということだった。それで午前中の競技に出たのだから、まるで本気度がない。せめて朝から行くべきだったと部長が言っていたのを覚えている。その程度の差ではないとは思ったが、何故か力が全く発揮できない情けないものだった。
にもかかわらず予選落ちについてはがっかリもしなかった。インターハイと自分が陸上をすることとは少しもつながっていなかった。そういうものがあることすら知らなかった。急に行けと言われていっただけだった。私は陸上をすることで、自分を鍛えようと考えていただけだ。どれくらい練習というものを出来るものか挑戦していた。
競技として陸上をしていたわけでは無い。簡単に言えば、精神的な問題の解決のために陸上競技をした。それは聖路加病院の先生の指導でもあった。陸上競技は中学3年から3年間ぐらいはやったのだが、結局最後は走りすぎてくるぶしから骨が飛び出して、走れなくなってしまった。それでも卒業まで陸上部にいて、砲丸投げとか、走り高跳びとかやっていた。
安藤君、染谷君、がいつも一緒に練習をした長距離班の仲間だ。やはり、苦しい練習を頑張ったのは友達が居たからだ。二人ともインターハイには行けなかったが、そんなことは大して気にもしていなかったと思う。そういえば、後に自民党の議員になった一年先輩の松本文明氏は一応陸上部員と言うことになってはいたが、練習に来たことがなかった。しかし、生徒会長に立候補して、陸上部員に投票するように強制していた。
良い指導者がいれば違ったのかもしれないとは思う。ただ闇雲の走るだけだから、練習の効果がなかったのだろう。それはそれでいいのだが。ともかく高校生の運動部はあくまで教育の一環である。だから、勝ち負けにこだわる必要は全くない。
インターハイがあろうがなかろうが関係のない生徒の方がはるかに多いのだ。世間では強い人だけを問題にするが、強かろうが弱かろうが、ひたすら運動をすると言うことのほうが重要なのだ。むしろ運動の才能がなく、勝つわけもなく運動を続ける高校生を励まして貰いたいものだ。