新型コロナは次の時代の幕開けなのだろう。

   


 名蔵アンパルにある田んぼである。ラムサール条約で日本に最初に登録された場所である。田んぼもラムサール条約では湿地として認めるということになっている。写真もよく取れていないのだが、雨で煙っている。雨の景色は好きだ。

 日々不安定な気持ちで暮らしている。昨日街を散歩していると、すれ違う人の視線から、何で観光客がこんな時に来ているのだという反応を受けた。間違いなく地元の人にはみえないのだ。仕方がないことだ。当分の間街での散歩は止めることにした。不安な気持ちにさせるのもよいことではない。

 絵を描きに行くのは車で行くので安心である。車を止めていても車のナンバーで観光客でないことは分かる。「わ・れ」のナンバーはレンタカーなのだ。観光客は必ずレンタカーに乗っている。車の中で絵を描いている分には何も問題はない。車アトリエは別世界である。

 いつの間にか絵が深刻化しているような気がしている。詰めすぎる絵になっていることに昨日気づいた。この不安な気分では仕方のないことかもしれない。原発事故以来続いてきた文明の行き詰まりの第2段階に入ったのだろう。たぶんこの破綻の予告を人間は受け取ることが出来ないのかと思う。

 コロナの感染は確かにどれほど悲惨なことになろうとも必ず終わる。終われば又何もなかったかのように、同じ競走の中に戻るに違いない。むしろさらに質の悪い競争になるのだろう。それが資本主義が終わるとい過酷な姿なのかもしれない。
 競争の勝者が幸いとは限らない。この過酷な競争に勝ち抜くということは人生を無駄にしてしまうということだろう。人間の安寧がどこにあるかを考えれば、競争に明け暮れることほど、不安なことはないはずである。

 日本型の非常事態宣言は石垣島では観光客の来島自粛要請と言うことになっている。1,2ヶ月ですめば良いが、秋ぐらいまでは観光客は減ったままになるとみなければならない。島の経済はかなりきびしいものになるだろう。それは島の農業にも影響するに違いない。
 世界経済は当然落ち込みがすごいものになるのだろう。経済恐慌のような状態の可能性もないとは言えない。強者はより激しい競争を行うだろう。ひどい世界が一歩進むと考えた方がいいのだろう。

 こうした事態に追い込まれた原因は感染症の蔓延に対して、事前に対策が練られていなかったことにある。それは文明の必然ともいえることなのだ。文明の転換期なのだ。今までの考え方では通用しない事態が、起きてきている。文明の進歩とされてきた発明が人間の足を引っ張り始めている。機械化とか大規模化が限界を超えたのだ。きっとさらに用意もできないことが起きてくるのだろう。

 まさかこんなことがあるとは思わなかったと、想定外であったと。いつもいつも政府に言われても困るが用意はできるはずがなかったのだ。新しいウイルスの登場は10年も前から私すら何度も書いてきたことだ。しかし、ウイルス対策どころか、病院の合併縮小を政府は主張しているくらいだ。経済競争の中では想定外の準備をするどころではない。

 経済の合理性は医療も受益者負担という考えに進んでいる。地方の社会自体が、経済の合理性からいらない場所になり始めている。地方も中心都市だけでいいということだろう。一次産業などいらないという競争である。
 競争から切り捨てられる一次産業。教育はとうに受益者負担になった。学問研究は今すぐの経済性がなければ行うことができない。競争に役立たないものは、かかわっていられないようなあさましい状態になっている。

 今回のコロナウイルスの感染も、危機を想定して対応をできない官僚制度の弱点である。敗戦処理に弱いのだ。勝ち戦だとある程度力がでるのだが。想定された範囲がないと仕事ができない。言われたことのない事態になると、急に能力が落ちる。

 人間はそれでも次に向けて生きて行くしかない。だとすると人間の暮らしは2極化して行かざるえない。現状推進派の未来は、ウイルスと戦いを繰り返して行くことになる。経済競争は過酷さを増して行くことだろう。残念ながら日本はその争いから徐々に後れをとると思わざる得ない。

 現状脱出を志向する人達が現われる。次の時代が分かるわけではないが、今のままではどうにもならないと言うある意味文明から脱落する人々。そうした人々は脱出したもののどこに行くのかはみえないわけだから、路頭に迷いながら生き抜くしかない。

 この文明から落ちこぼれる人々の中から、実は次の世界を見つける人が現れることの方が可能性は高い。残念なら現代文明が崩壊過程であることは間違いない。もちろんあだ花のように、まだ一瞬輝くことはあるかもしれないが、大きな方向としては次の文明世界を見つける以外ないのだと思う。

 極端な気候変動による大規模災害。マイクロプラステックによる環境汚染。新型ウイルス等の襲来。世界人口の増加からの食糧不足。予想される手に負えない事態は目に見えて近づいている。この深刻な状況には良い解決策はない。文明の敗戦処理なのだ。

 考えたところで何も出てはこない。絵を描くほかない。絵が次の時代を模索し、路頭に迷う人の灯になればいい。少なくとも同じように次の時代を模索した人がいたということを伝えるもであればいい。
 ところが全く先がわからないにもかかわらず、わからないということを描くということができない。わかったことを描くことも難しいのだが、この先がわからないということをえがくことは実に困難である。
 やるほかない。描いてみるほかない。自然に向かい描いてみる。自分というものを信じてもう少しできるだろうと思う。


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