筋肉は裏切らないでもない。
与那国で遊んだ山羊
毎日体操をしている。しかし、筋肉などと言うものはほとんどない。全くなければおかしいのだが、ないという他仕方がない様子だ。公称、170センチ体重55キロである。測定マニアなので、あれこれ測定はしている。ところが、筋肉というものは子供の頃から、ついたことがない。筋肉に裏切られてきた異常体質なのであろうか。
最近「筋肉は裏切らない。」こういうフレーズを良く耳にするようになった。どこかのスポーツジムのキャッチコピーなのだろうか。あるいはサプリメントの宣伝か。筋肉は努力を必ず反映する。つまり筋肉のないおまえは努力不足だと言われているようで、面白くない。
元々はボディビル界隈などで広く使われていた言葉である。その後、2018年にNHKのテレビ番組「みんなで筋肉体操」の中で近畿大学准教授の谷本道哉氏が決め台詞として用いたことから一躍脚光を浴び、この年の新語・流行語大賞にノミネートされるまでになった。
筋肉が裏切らないとすると、例えば頭脳の方は裏切ると言うことなのだろうかと思う。英会話は努力しても出来るようになるとは限らないとか。ピアノのレッスンを努力したとしても、ピアノが弾けるとは限らないとか。こういうことだとするならば、筋肉より頭脳や耳や指先の方がまだ裏切らない気がする。少なくとも私の場合は。
要するに努力が足りないから、ピアノも弾けないし、英会話も出来ない。これは努力不足で頭脳に裏切られたわけではない。ところが、運動は間違いなくしている方だ。毎日努力を欠かさない。正直、三線よりも体操の方が熱心である。それでも筋肉には裏切られ続けてきた。といって、筋肉に何か期待したこともないから、裏切られたとも思わないのだが。
高校生の頃は陸上部にいて、限界を超えたと思える、トレーニングをしていた。記録的には弱かったのだけれど、トレーニングでは日本一だと思っていたほどである。このために足首に骨が飛び出してきて走れなくなってしまった。
腕立て伏せや腹筋運動は1000回、懸垂は100回を超えても何でもなかった。今は禁止となったうさぎ跳びで、校庭1周うさぎ跳びなど当たり前であった。毎日そういう練習をしていた。そう、筋肉はそれでも増えなかったのだ。
どれだけやっても筋肉がつくようなことはなかった。当時の体重は45キロだった。筋肉には裏切られるどころか縁がなかった。そんなものだと思っていたのだが、最近の筋肉は裏切らないという、トレーニングジムの宣伝のような言葉を聞いて、何釜違っていたのかと思うのだ。
もう一度書いてしまうが、言われると筋肉が足りない私は努力が出来ない人間だと言われているようで気分が良くない。まあ関係ないか。今でも私は体操をする方だ。朝40分ぐらいは全力でやっている。
筋肉と言えば思い出すのは三島由紀夫である。若い頃は文弱で痩せこけていた三島由紀夫が、右翼になり盾の会を作り、スポーツジムで筋肉隆々の身体になり、グラビア写真まで撮らせた。筋肉は裏切らないが、自衛隊には裏切られたと言うことだろうか。
では何故、私は筋肉に裏切られているのか。テレビでは年寄でも筋肉は裏切らないと言われている。プロティンを飲まなければならないのか。そんなはずはない。それくらいなら裏切られた方がましだ。
体質なのだ。体質の遺伝だ。別段病気と言うことでもない。筋肉はつきやすい人と、つきにくい人がいるようだ。三島由紀夫は好きではないし、筋肉もどちらかと言えば嫌いだ。要するに肉体派のような人はつい避けてしまう。これも筋肉がつかない体質から来ているのかもしれない。
筋肉がつかないと基礎代謝量が上がらない。これが残念な点だ。筋肉量と基礎代謝量は関連する。骨格筋:22% 脂肪組織:4% 肝臓:21% 脳:20% 心臓:9% 腎臓:8% その他:16% 基礎代謝量の割合である。
筋肉、肝臓、脳で3分の2である。これは中々重要である。筋肉はあきらめるとしても、脳をフル回転して、基礎代謝量は上がるのか。ダメだろうな。絵を描いているのはかなり脳を使う。ぐったりと疲労する。しかし、これは基礎代謝とは関係ないだろうな。