石垣島に引っ越して1年が経とうとしている。
於茂登岳
石垣島に越して、もうそろそろ一年が経過する。家ができたのは10月末だった。11月15日に引っ越しをした。早いものであるが、気分的にはすでに石垣島に根付いて安定して暮らしている。ありがたいことである。引っ越しが大変だったのかどうかさえ、思い出せないほどである。
石垣島が自分の場所になっている。石垣にいるときは毎日絵を描いているので、石垣の風景の中に、入り込んでしまうのかもしれない。今や一番親しい風景の色が石垣島である。石垣島の明るい、明るい緑である。
こんなに上手く、引っ越しができるとは思っていなかった。一番心配だったのは、猫のことだ。猫がすぐに石垣の家になじんでくれてありがたい。外に出さないで、大丈夫かと思っていたが、それほど出たがることも無い。
家については使い始めて使い勝手が悪いということがひとつも無い。こういう所をこうしておけば良かったというところすら無い。家は3回建ててみなければ、分からないというがその通りであった。今回は手落ちがまるで無い。お願いしたとおりやってくれた、設計事務所のおかげも大きい。
気に入っているのは床である。裸足で暮らしているのだが、床の具合がじつに良い。反るのでは無いか。隙間が空くのでは無いか。猫が滑るのでは無いか。猫が吐くとシミができるのでは無いか。作る前にはいろいろ心配もあったのだが、一年経ってみて、何の問題も無かったことがわかる。床材の木場の満点木材さんと、床を張ってくれた大工さんに感謝である。
石垣島の方が、小田原のよりも生活がしやすい。歩いて買い物ができる。歩いて暮らせるということで、全く暮らしが違う。五分ほどの所で大抵の買い物ができる。大きなスーパーには車で行かないとならないのだが、何かのついでに寄るようにしている。
JAのゆらていく市場が気に入っている。JAに口座を作ると、すべて口座引き落としで買い物ができる。いくらか割引もある。なにより、地場の野菜が売られている。この時期は地場の果物がすく無いのが残念である。
ゆらていく市場にゆくと、石垣の農業の様子が分かるところがいい。畑を見て、ゆらていく市場を見ると、この時期とれるもの、とれないものなど分かってくる。とれない野菜は日本全国から来ている。この点では小田原の朝どれファーミーと同じなのだが、石垣は地場のもので食べ物がつなげるということである。
石垣島の楽しみのもう一つは、蘭が温室が無くても育つというところである。まだ試しに育てている段階だが、昨日はゆらていく市場でコウトウシランを買った。シランと名前にはあるが、全く別の種である。Spathoglottis plicataが正式名である。この蘭は石垣島にも自生していたとも書かれているものだが、栽培種が野生化したと考えていいと思う。
それほど石垣の気候に適合しているラン科植物がある。ナリヤラン、コウトウヒスイラン、ナゴラン、イリオモテランなどは石垣に自生していた植物であると言われている。ラン科植物の花の趣は深い。ナゴランもよく売られている。
絵を描く場所は旅行で石垣に来ていた頃と、大きくは変わらない。同じ場所で、繰り返し描いている。それは小田原でも同じ場所で描くのが好きだった。その場所が描けたという気がしないので、どうしても同じ場所で描くことになる。
名蔵湾と宮良川上流部と崎枝地区である。田んぼのある風景である。自然に対して、人間が関わっている具合に惹きつけられる。人の手の入らない太古の自然というようなものを描きたいとは思わない。
石垣の風景はまさに自分が願っていたようなものだった。石垣の風景に出会う前には、なにが描きたいのかよく分かっていなかったのだと思う。あちこち風景を描きに行った末に、自分が描きたい風景画石垣島だったということになる。
昨日、名蔵湾の風景を描いていると、いつも通る軽トラのおじさんが、話しかけてくれた。石垣の風景がいいかというのだ。田んぼのある風景が描きたいというと、宮良川の所でも描いているなと、言われた。同じ車をいつも止めているのだから、良く通る人には見慣れてくるのだろう。
このくらいの規模の島というところがいい。5万人の島である。青ヶ島のような小さな島では無い。ほどよい規模の島である。食糧自給可能な島である。あと9年は何とか絵を描かせて貰いたい。80歳まで絵が描ければ、なんとかなるかもしれない。