19号豪雨台風小田原久野では被害なし。

   


   久野では被害がないと思っていたら、欠ノ上田んぼの河岸が崩れていることが分かった。

 私が避難所に入ったころの諏訪の原公園の事務所ロビー。玄関部分も入れて150㎡ぐらいの場所か。その後すべてのテーブルがどけられ、床一杯の人に成った。100人だとすると一人1,5㎡か。

 19号台風は私の家では幸運にも、大したことはなく行きすぎてくれた。暗くて見えないので全容は分からないが。19号台風は今宮城県で猛威を振るっているようだ。これほど広い範囲で、豪雨になったことは過去に例がないのではないだろうか。明るくなって被害の全容が見えてくることが怖いようだ。
 結局のところ、温暖化の影響である。海水温が10月の関東沿岸でも高い。という事は、今後さらに深刻な台風が来る。備えなければならない。幸い今回の台風では、久野ではそれほどのことはなく、被害は見て歩いた限りまったくないようだ。
 被害が伝わってくるが、亡くなられた方も多数おられるようだ。まだ、東北地方では豪雨が続いている。何とか頑張って切り抜けてと願うばかりである。

 昨日は午後1時ごろ、舟原自治会の一時避難所に出かけた。フラワーガーデンである。一時避難所が開門されているかを見に行った。というのが正直のところである。やはり開いていない。つまり、舟原自治会には一時避難所が確保されていないという事である。

 自治会長であった時に、舟原自治会の一時避難所をフラワーガーデンに決めたのだ。その時の行政との話し合いの中で、避難勧告が出たら、必ずフラワーガーデンには入れるようにするという事が、舟原自治会と市役所との約束であった。私が一時避難所の看板を移した。

 なにしろ、舟原の一時避難所はレッドゾーン内にあった。たぶん、一番舟原で一番危険な川沿いの公民館だ。ここに一時避難して、災害があれば、自治会の責任になる。私には絶対に認められることではなかった。

 やはり、フラワーガーデンは締まっている。何の表示もない。家に帰り小田原市の防災課に電話を入れた。何故避難勧告が出ているのに、フラワーガーデンには入れないのだ。市役所の防災課はフラワーガーデンは開いているはずだと主張する。今見てきて私が閉まっていると言うのだ。開いているというなら、今から15分後にもう一度行くから空けておいてくれと頼んだ。

 それは待ってくれ、調べて電話をするからという事である。30分ほどして電話がある。午前中は開けていたのだが、もう閉めたというのだ。閉めて、舟原の一時避難所は諏訪の原公園にしたというのだ。これは明らかな言い逃れに過ぎない。午前中にも開いているか見に行けばよかった。

 そんな話は聞いていないが誰かに連絡をしたのかと聞くと、誰にも連絡は入れてない。どこかに表示をしたのかと聞くと、表示もしていないという。何という小田原市役所の無責任体制のことよ。

 そこですぐにフラワーガーデンを開設して欲しいとお願いする。せめてフラワーガーデン入り口に、一時避難所は諏訪の原公園と看板を立てて欲しいとお願いする。お願いして1時間ほどしてから、避難の用意をして、見に行った。何の表示もなく、フラワーガーデンは締まったままである。

 仕方がなく、諏訪の原公園に行く。諏訪の原公園で状況を説明すると、諏訪の原公園は土砂災害避難所ではないとのこと。久野小学校に行けとのこと。久野小学校には自動車で行くことは許されていない。この雨の中、久野小まで歩くぐらいなら、家にいようと思う。

 それでも、状況を分かってくれて帰れとは言われず、諏訪の原公園では受け入れてくれた。私は34人目であったが、その後段々に人が増えて100人ぐらいにはなっただろうか。事務所のロビーのようなところだから、ほぼ満杯である。

 外の広い駐車場に車を止めている人もかなりいたようだ。私も車の中にいようかとも思ったのだが、風が強くなるのが、夜8時くらいだと想定されていたので、車が転がるほどの風では困ると思い、硬い椅子に座っていた。

 後から来た人は毛布もない状態である。これでは寝るというのは無理であるから、私は9時に家に戻ることにして我慢してイスに座っていた。だから、2時から9時までの7時間イスに座っていたことになる。

 疲れたという事もないが、皆さんの様子が良く分かった。一人で4枚も毛布を確保してしまい、新しく来た人が毛布もなく困っていても、何にも思わないという人が、結構いた。

 自分の場所を広く確保してしまい。入れない人がいる状況にもかかわらず、絶対に詰めないぞという態度の人も、結構いた。困った時の相見互いという事はどうも小田原では通用しないようだ。実に利己的である。

 3時ころに、諏訪の原公園の事務所の方に、フラワーガーデンを開けてくれるように頼んでくれとお願いした。今なら、フラワーガーデンに移動できる。もう少し遅くなれば、移動すらできなくなる。人がこれ以上は入れない。

 防災部長に頼んでくれたのだが、対応はしてくれなかった。小田原市は舟原自治会が土砂災害危険地区に指定されていて、レッドゾーンに暮らしている人が13軒あったはずだ。こういう認識がないのだろうか。本来であれば、5段階になった時に、レッドゾーンからフラワーガーデンに誰かが、移動を促さなければいけないところだろう。

 こんな状況だから、誰も避難もしない習慣になってしまっている。これから、さらに深刻な台風や豪雨が来るはずである。その時にどのような対応が取れるか、いまさらながら心配になる。レッドゾーンの人を誘って、フラワーガーデンに行けないかと考えていたのだが、それどころではなかった。

 諏訪の原公園の避難所には、歩くのも難しいというお年寄りが4人避難してきた。一人は入れる状況でなく戻られた。イスに座っているしかないのだが。歩行困難の上にトイレに頻繁に行く。介護という事は大変なことだっと思った。頭が下がる思いであった。

 小さな子供は30人はいたと思う。みんなおとなしいものだった。大人の緊張感が伝わるのかもしれない。諏訪の原公園の方々はとても親切だった。親身になってお世話をされていた。そのこともあって、狭い避難所が何とか保たれていたと思う。

 予定通り、9時には家に戻ることにした。雨もやんでいた。風もそれほどではなかった。帰り道木が折れているというようなこともなかった。車も安全に戻れた。家は何も変化がなかった。ホッとして酒を飲んで寝た。

 - Peace Cafe