19号台風前に脱穀作業が進む
10月12日の3時である。台風が心配で目が覚めてしまった。雨が降り始めている。まだそれほど強い雨ではないが、時折雨音が強くなり、止むことはない。19号台風が近づいている。小田原にまっすぐに向っている。今日の夕方の6時ごろに上陸の予報である。過去最悪の台風と言われている。
欠ノ上田んぼの脱穀を10日に行った。モミの乾燥度は17%平均だった。もう少し下げたかったが、11日は雨になる予報で、そのあと台風である。やらざる得なかった。ハザガケが倒されるのは明らかである。その前の脱穀してしまわなければ、どうにもならない。
10日は3人参加できればやるというつもりだった。一部だけでも脱穀して救いたいという思いだった。丹精をして育て上げたお米をここで諦める訳には行かない。平日である。参加したくとも参加できない人が多いいはずである。3人は大丈夫だろう。
9日の3時から渡部さんとハーベスターの運搬を行った。ハーベスターもだいぶ古いもので、いつ壊れても不思議がない状態である。前日調子を見なければ、成らない。朝一番から作業が出来るように、田んぼに運び込びこみ、ブルーシートでカバーはかけておく。
10日は7時半には田んぼに向った。無事エンジンを始動させて、早速作業を始める。その頃には徐々に人が集まり始めた。6人を超えて2班に分かれて作業が出来るようになった。仕事を休んで駆けつけてくれる人もいる。いよいよ作業に力が入る。
ハーベスターの調子はいまいちである。なんとかかんとか調整しながら、注意深くゆっくりと作業をする。壊したら時間がかかるし、エンジンの音を聞きながら、だましだまし運転するほかない。それでも何とか12番一枚が、1時間ぐらいで終わる。
その頃にはもう一台のグループが9番を終わる。この調子で進めば何とか今日終わるかもしれないという見通しが立つ。人数もなんと10人になっていた。みんなの思いの重さを感じる。この思いを仇やおろそかには出来ない。
幸いのことに乾燥した晴天が2日間続いた。これで、一気に乾燥が進んでくれていた。すべての作業が綱渡り状態である。何か一つ欠けたらば、脱穀は進まなかっただろう。午後になり一台が不調になったヨコの送りが詰まるようになった。結局これは治らなかった。
昼休み直前に、一台のハーベスターが突然止まった。なんと、ベルトの切断である。気にしていたのだが、エンジンからくる見えにくい場所のベルトだった。すぐに小島商会に買いに行く。昼休みの間に戻ることが出来て、中断なく作業が再開できた。
なんとかかんとかところがもう一台が、1番田んぼを始めた所でとまった。今考えてみると、藁の乾きが悪かったのだ。一番は入水口で、藁が青かったのだ。その上、日陰の田んぼだ。機械の不調と考えて苦労した。
それでも10番を残してすべてを終えることができた。暗くなって作業を終えたのは5時30分。それから機械小屋までコンテナやら、ハーベスターを運んで作業終わりは6時を過ぎていた。
10番の手作業田んぼのイネは10番はコンテナ乾燥なので、軸がまだ乾いていない。作業を持ち越すことにして、家の方に運んだ。台風でやられない様に家の廊下に運び込んだ。
ブラック農業である。働き続けてやっと脱穀が終えることができた。確かに疲れた。疲れることは付かれたが、何とか持ちこたえた。後に疲れが残るかと思ったのだが、翌朝は普通になっていた。
家じゅうが畳を入れ替えた時の匂いになった。畳の匂いというのは、稲わらの匂いであって、イグサの匂いではないのだ。稲わらの匂いに包まれて眠ることができた。何という充実であろうか。こんな贅沢な時間を過ごすことが出来るのは、田んぼをやっているお陰だ。
一年食べるお米が家の中にまで来た。そう思いながら藁の香りを味わうと、格別のものがある。田んぼは良いものだ。身体全体に藁の匂いがしみ込んできた。ブラック農業ではなく、やはり充実農業だ。精一杯働くことが出来た喜びの方が大きい。この充実感は他のことで得られるものではない。
花梨酒を飲んで眠ろうと思って、器に注いだものが朝8分目残したままであった。酒を飲み干すことすらできずに眠ってしまったのだ。たぶんこんなに疲れたのは、久しぶりのことだった。フィットビットを確認すると16000歩だった。
翌日には身体は普通である。筋肉痛もない。肩こりもない。こうして、残り5回の稲作の内の1回も終わろうとしている。あと4回はやらせてもらえるかもしれない。有難いことである。相撲取りの記者会見のように、丈夫な体に産んでくれた親に感謝することにしよう。
お米は13日に籾摺りの予定である。籾袋の様子からすると、減収は確かである。止む得ないことである。7月から8月初めにかけての日照不足が影響をしている。分げつ不足である。それでも健闘したと思う。こころよりイネに感謝したい。