いよいよ水彩人搬入日

   


船原溜池
 今日は水彩人の搬入日です。私は車で東京都美術館まで、作品を持ち込みます。作品は17日に石垣から、小田原まで直接持ってきた。そして小田原で額装した。額装は予定通りできた。初めての手順なので、石垣ではあれこれ心配したのだが、何とかなった。

 石垣で額装して、航空便で搬入するのはサイズ的にかなり高額になってしまう。自分で搬入すると小田原から上野までの車代と言う位で、格安になる。これからもこのやり方になるのだろう。小田原に準備して置くものもよく分かったので、今後はこの方式で行きたい。

 水彩人に出す絵は額装するときに、前の額に入っている絵より良くなっているかなというのが、一番気になる所だ。絵は額に入れてみると違うものだ。自分としてはそれなりになっとくはできたので、良いかなと思った。

 水彩人展準備で課題なのがコピー機である。私の家にあるコピー機を持って行くのだが、これがしばらく使っていなかったものを運ぶので、例年くりかえすのだが、上手く行かない。ノズルが乾いているのだろう。今回も、回復に手間取った。

 コピー機と3台のパソコンとを繋ぐのだが、上手く行くだろうか。とても心配である。毎年これで一苦労である。コピー機は日常使っている物であれば、様子がわかる。小田原のものは使っていないコピー機なので不安がある。コピー機をレンタル会社から借りたのでは、スムースには行かない。費用もばかにならないので、こんな方式にしたのだが、何とか切り抜けてもらいたい。

 今年は水彩人も21回展で、新装開展という形だ。個人的には研究会に戻る時ではないかと思っている。今までは公募展にするという事で、ずいぶん無理な頑張りもあったと思う。何とか水彩画の第3の存在にはなった。この先必要なものは何かと思うと、やはり純粋に水彩画というものを探求するグループではないかと思っている。

 ただこうした組織は組織自体の動きがある。50人もいる仲間が自然に動かしているともいえる。一人がどう動かすかというより、全体の動きに抗しがたいものもある。どんな方角が水彩人なのかを見定めるのが、21回展なのかもしれない。

 10人から始まったものが、50人になったという事だけでも公募展にしてよかったと思う。ただ今後これが100人の仲間になることが良いことなのか、50人を維持しながら、より緊密な形を求めることが良いのか深く考えなければならない。
 
 やはり、私個人としては自分の絵である。たぶんそれは誰しも同じことだろう。自分が絵を続けるうえで、どんな水彩人であれば、有難いのか。それを考えなければならない。後どれだけ絵が描けるかもわからない。その絵が少しでも前進するための会であるという事がすべてである。

 その意味では規模としては今くらいが限界のようには感じる。これ以上大きくなると、会の中に考え方の分離が生じるのではないだろうか。今はなんとか、会を出来てきた初期の考えが維持されていているのではないだろうか。

 今後の方向を、どんな会にして行くのかを、会期中にみんなとできるだけ話し合いたいと思う。全員を会員にするというのもいいのかもしれない。現在のように、同人と会員がいるというも、あまり好ましいものではない。
 絵を研究しようという気持ちが生かされる場でなければ、今後水彩人の意味はないと思う。なんとなく書いていて落ち着かない早めに出掛けた方が良いかもしれない。文章が途中であるが、仕方がない。

 

 

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