水彩人出品作を選ぶ。

   

 水彩人展 

 今回この作品を水彩人に出品することにした。

 水彩人展以外で作品を発表することは無いから、一年間描いたものの中から、出品することになる。今年から一人あたり3メートルの展示スペースになった。1メートル減少である。出品する人に少しでも多くスペースを割りあてたいからである。私は3点出品する。

 いつもどの絵を出すか迷う。1年間描いた絵の中から選ぶ。展覧会に出すために描くと言うことは無い。すでに2点は額装して小田原に置いてある。1点を石垣で選んで持って行く。額装は小田原でやる。中盤全紙の縦型の絵を1枚選ぶとちょうど良いかと考えている。

 縦構図の絵は好きで、描けるときは必ず描くことにしている。同じ場所でも無理に縦で描くこともある。それでも、全体の30%ぐらいがになる。やはり風景の場合、ほとんどの場合横構図になる。水彩紙の形はそもそも、油絵で言えばP型である。つまりPaysageつまり風景のことである。



 最近描いた中判全紙の縦構図の絵を並べてみて選んだ。並べたら、今描いている右から2つめが良さそうなので、このあと2日間描いてこれを出すことにした。

 写真を撮って、絵はがき作製担当の金田さんにデーターを送った。その写真が最初に掲載したものである。これでいいと思っていたら、斜めなので、このままだとずいぶん切れた絵はがきになるがいいかという連絡が来た。斜めでも印刷屋が直してくれると思ったのだが、自分で直して再度送った。

 金田さんは帯広の同人である。石垣の私がホームページ担当をやっているように、水彩人では離れている人でもやれる仕事はできるだけ分担することになっている。そのほか通信担当は京都の方だ。

 そうはいっても、事務所担当や会計担当は関東一円で無いと難しい。仕事の負担が大きい。水彩人は会を社団法人にした。それに伴い、会計処理も出てくる。事務をパソコン化し無ければならないと言うことも出てきている。

 絵を描く人は会の仕事を嫌う人が多い。それでは会が成り立たないのだが、自分のことだけやっていたいと言うことなのだろう。仕方が無いところだが、運営的な仕事は全員で平等にやるべきだろう。

 絵はがきにする絵のデーターを送る期限が8月20日であった。ギリギリこの日に絵は送ることができた。最近になって、絵を完成させる努力をしようと考えている。以前は分からなくなった時点で止めてしまったのだが、分からないままでも、一応の結論を出してみようと考えている。

 それで一枚の絵を大体3回か4回描いている。描いてはアトリエに置いておく。眺めていて気づくこともあるので、それを現場に持って行ってまた描いてみる。その繰り返しで納得の行くところまで描く。

 最近になって水彩画の技術が少し向上したと思う。描いても暗い絵にならなくなった。30年油彩画を描いた。その後また30年水彩画をやってきた。結果として水彩画の方が技術的に奥が深いと言うことが分かった。違う紙を使ってもほぼ同じ色が出せるようにもなった。

 最近はできる限り終わりまで描いてみようと考えている。以前は分からないことは描かないで置こう、と決めていた。分かったことだけで終わりにしていた。このやり方でズーと来ていたのだが、最近分からなくても糸をたぐってみようと考えている。

 分からないその先まで行ってみる気になった。きっかけがある。よく分からなくなっていつものようにここで止めようとしたのだが、思いつくところがあり、分からないところをやってみた。こういうやり方だと、絵作りになると考えて避けてきた方法だ。

 ところが、やってみるとその先があった。前と違う光が見え始めた。見えた光をもう少し追ってみようと考えるようになった。以前ならば分からなくなって、他人のやり方で解決しているようないやな感じが出た。絵としては出来上がるとしても、自分の見ている世界とは違うような感じだ。

 その先に踏み込むことは重要と思っては居たが、自分が不明確なまま、絵を描き進めると人が考えた絵の作り方を受け売りしてしまう。こんな失敗を散々した。それで分からなくなったところで止めた。それが自分の見ている世界に正直なのだと思っていた。

 そのやり方も止めてみてもいいのかと。最近になって考えるようになった。少しは人のものに引っ張られることも無くなったと言う気がしている。いい絵を描こうというような気持ちから、少し離れたと言うことがある。

 もう一つある、前より一歩前進しならなければ終われないという気になった。人が見たらの良くなっているのかどうかは判断つかないようなことなのだが、自分としては前に描いた絵よりわずかでも良くならないと我慢できない。そうでなければ何のために絵を描いているのかと思うようになった。

 こんな具合で、少しでも新しい試みをしているつもりで、粘って描いている。良くダメダーとさけんで絵を破る芸術家像があるが、そんなことは過去一度もしたことが無い。どれほどダメでも自分のやったことである。必ずとって置く。そしてよくよく眺めて、何故ダメな絵を描いたのか考えてみる。

 そうだ、確かに今描いている絵は、つまらないかも分からないが、一歩進めたような気がしている。

 - 水彩画