絵は陽気なものでありたい。
今回の石垣滞在の最後の絵。良いところはあるが、絵の良さという意味でまだ大切なものがないような。
昔、「ごようきで」と最後に言う漫才士がいた。笑い転げているうちに陽気な気分になる。これは素晴らしい。絵も陽気がいい。描いた絵が、明るい気分にしてくれるものであればうれしい。私の描いた絵を末期がんの方に贈り物にしてくれた人がいた。亡くなるまで枕元でその絵をとても大切にしてくれたと、後で聞かせてくれた。私のような者の絵でも役に立つことがあるのかと感激した。私の同志のような人のご主人で精神科医の方がいた。私の絵を診察室においてくれた。窓がない部屋なので、窓になる絵だと言われた。それは私を励ますためであったと思うが、患者を明るい気持ちにできる絵とも言われた。嬉しいことだった。あれから、もう40年も経った。今でも明るくなる絵を描いているだろうか。私絵画である以上、私が陽気でなければ陽気な絵にはならない。漫画なら、赤塚不二夫さんだ。くそ真面目な絵より、ふざけた絵の方がまだいい。心が陽気によって洗われるような絵が描ければと思う。
この絵は大井町の篠窪で描いたものである。この絵と今描いている絵とどのくらい変わったのか、並べてみている。
朝、写生に出かける。どういう絵を描こうとか考えることはない。ただただ、無我夢中である。手が脳に反応して、その場のその絵をなんとか自分の見ている世界に近づけようとするだけだ。風景の写生に専念している。描きたいと思う場所に正面から向かい合う。描きたいと思うところを大きく中央に置く。構図とか、構成とかは考えないことにしている。見ているそのままを描く。同じに見ているにもかかわらず、毎日違う絵になる。大体絵は一日で描き終わる。後は、アトリエに見えるように並べておく。そうかと何か思いついた絵は、もう一度描いた場所に持ち出して描く。そうかと思いついたことをするわけでもない。何を思いついたかもわからなくなって、また一から描いている。思いついたと言うことは、描きたくなる絵と言うことなのだろう。これがよくわからないのだが、違う場所で違う絵を描き始めることもある。例えば、橋の上で上流を見て描いていたはずの絵を、下流方向を見る絵にして描いてみたくなる。こうなると何を見ているのかわからないようなものだが、私が見ているという何かはそれでもいいようなものらしいのだ。
前より暗くなっているのかな。かなり描き込んだ絵。
水彩画の技術的進歩とはどれほど描いても、暗い絵にはならない技術だと思っている。描き込むとどうしても暗くなる。その水彩画の性質のために、突き詰め方の足りない表面的な絵になりやすいのだ。描き続けると暗くなり、考えている絵と離れてゆき、戻れなくなるのが普通だ。何か技術的な解決があったのだと思うが、いくらか描いても暗くなることがなくなった。つまり、陽気な絵であり続けられるようになったと思っていたのだが。絵がどんな状態であるかはよくわからないが、わずかな進歩は感じている。暗くなっても、自分の絵でなくならなくなったと言うことなのかもしれない。自分のことはわかりにくいものだ。水彩画の技術は一筋縄ではいかないほど様々である。私には私のやり方があるようで、そのやり方を繰り返しているうちに、すこしづつ身について来たようだ。技術と言ってもこういうときはこういうやり方でというような手順が頭に浮ぶようでは、どうにもならない。手が勝手に動いていながら、手が選択している状態にならないと役立たない。だから模写して身につけたような技術は災いをもたらす。他人の見方が手に乗り移るからだ。この点では手に他人が出てくることは少ないようだ。
最後の絵の前に描いた絵。もう少し描きたいと思うところがある。
絵はできてくると底光りをしてくる。画面に力がこもってくる。どこ段階からなのかはわからないのだが、できたかなと言うところまで来ると、絵が輝き出す。色のバランスがとれてくるのだろう。筆触の流れた整うのだろう。画面に統一ができる。そうすると、画面はえもいわれぬ、底光りを始める。よくできたような気がしても、この底光りが出てこなければできたとはいえない。だめだと思うところがあろうとも、この強い光が出てくれば十分である。滅多にそういうことはないが、そういう絵はアトリエでも強く光る。多分思い込みなのだろう。絵は思い込みの積み重ねのようなものだ。やることとすべてがわからないことになる。でもこのあたりが自分が生きると言うこととぶつかり、たしかに大事なことだ。何か絵の奥の方から、さあこの世界だというような光が出ているように見える。一言で言えば、絵が立ち上がる。自立して描いている自分から離れたような感じだ。もっと描いてくれとは絵が言わなくなる。絵は
ここを直してくれと言い出す。そう言われてもできないよと言うので、引き出しにしまうことになる。いつも中途で絵が終わる。
ここを直してくれと言い出す。そう言われてもできないよと言うので、引き出しにしまうことになる。いつも中途で絵が終わる。