石垣市は「自治基本条例は実際に運用されることは想定していなかった」と回答した。

   

石垣市行政は自治基本条例は理念を意味しているのであり、実際の運用を想定していなかったと不備について弁解した。こんな言い訳は市民の権利を安易に考えていないだろうか。全くご都合の解釈である。これでは議会や市長が行いたい住民投票だけが実施されると言う条例になる。住民の請願の意味はどこに位置づけられるのか。住民の90%が住民投票を要求したとしても、住民投票は実施されないことになる。3分の1もの住民による請求のあった住民投票は行わなくてはならない。地方自治の当たり前のあり方だ。これができないのであれば、民主主義ではない。地域住民が市長と話し合いを持った。石垣は地域が公民館という単位で運営されている。自衛隊予定地周辺の5つの自治会が反対を表明している。この反対に対して、石垣市は十分な説明すらしないまま、現在に至っている。今回、その地域の公民館の代表が、市長と話し合いを行った。市長は国の専権事項に対して市としては発言しないと相変わらずの態度のようだ。これに対して、地元自治会代表は住民投票の実施を強く要求した。もし、住民投票で自衛隊基地の受け入れが多数を占めた場合は、地元公民館としては反対を取り下げる。と言う新しい条件を示した。しかし市長としては行わないと言うことをただ繰り返した。

アベ政権は尖閣をだしに使い、自民党憲法に変えようとすることが目的である。作家石原慎太郎の書いた軍国主義の亡霊である。領土問題は解決してはならないと考えているのだろう。政治的に国民を操る良い餌なのだ。領土がとられると言えば、世論がたちまちに軍国的に変わる。近隣諸国を常に領土を狙っている悪い国にしておきたいのだ。中ロでも国境紛争があった。しかし、それは話し合いで解決できたのだ。政権の都合に合わせて、その国の非道さをアピールして、政権の正当化を図ろうとする。このやり方は明らかに憲法違反である。平和外交を政府に命じている憲法の考え方からすれば、まるで逆行している。そもそも無人の離島など死守するほどの価値はない。海底に資源があるなどと言うことも、小さなことだ。資源に頼るなどという考え方は、人間をだめにする考え方だ。人間は自分自身を磨けばいいだけのことだ。国もあるものを充分に生かせばいいのであって、棚ぼたの資源などない方がいい位のものだ。いらない離島などいくらでもある。大きな島でも無人島になる時代だ。北方領土が返ってくれば、税金の負担が増えるばかりである。米軍が喜んで北方基地を造るかもしれない。



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