「八重山の御嶽」(うたき・おたき)李春子著
「八重山の御嶽」の出版記念交流会があった。場所は石垣市民会館。以前から御嶽というものには興味あった。どんな話が聞けるのか期待して出かけた。著者は李春子さんという神戸女子大の非常勤講師の方である。この方は韓国生まれで、台湾の大学を出られた後、京都大学の大学院に進んだ人ということである。書物全体としては日本の御嶽の研究者としては、いろいろ不満があるかもしれないと思った。と同時に全体の把握としてはとても鋭い指摘があるとも思った。御嶽の信仰と保存を強く願う人だった。信仰がなくなれば、御嶽は失われてゆく。その強い思いでこの本の出版になったという。八重山の御嶽は沖縄本島のものと違うという点。御嶽には「いび」という最も神聖な場所があり、そこには女性のつかさ以外は入ることができない。祈りと祭りの場である。その場が何もない場所であるというところに八重山の御嶽の意味がある。御嶽には現在社があり、鳥居があったりするが、本来は森と広がる空間があるだけ。祈りの場としてのいびは森の祈りの場。ここでいう森は場としての森であり、鎮守の森である。瞑想の森と李さんは発言していた。瞑想と八重山の祈りは違う。
「いび」は清浄な場である。ここを何もない場所に維持することは誰が行うのか興味があった。竹富島の司の方(写真の方)から、つかさが管理をやるといわれた。フクギの葉を3枚持つ。いびに入るときには口に一枚。両手に一枚ずつもつ。それでお祓いをしながら、いびに入る。そして掃除をする。八重山の森は忽ちに植物に覆われるはずだ。つかさがいなくなれば、そこには入る人は居なくなり、たちまちにジャングルに戻る。小田原の部落の社は組が順番に清掃を受け持つ。あれでは神聖感は無くなる。八重山の何もない場所というものは作り出さない限りない。偶然に何もない場所などというところはどこにもない。御嶽の樹木は切らない。巨木がいびを覆いかぶさるように茂る。いびの何もない神聖な場所は八重山独特の何もない場所であるはずだ。巨木は伽藍のように枝を伸ばす。
八重山の御嶽の鳥居が、この本では御嶽の見取り図にはあるが、本来御嶽には鳥居はない。今でもない御嶽はある。明治時代に鳥居はできたものだとの説明。私はその前の時代にすでに鳥居があったのではないかと思っていたので、少し意外だった。薩摩藩の時代に神社、仏閣を八重山にも持ち込もうとしている。その時代に鳥居はすでにできたのではないかと考えていた。この自分たちの心のよりどころである御嶽に、特別な抵抗もなく鳥居を作るところが八重山の自由さなのではないか。お墓もそうである。死者の家のようなお墓が本来である。その屋根の上に日本式のお墓を載せている。こだわらない闊達さのようなものを感じる。御嶽にはそもそも社もなかった。社がなぜできたのか。いつの時代なのか。鳥居よりもはるかに前の時代に社はできたのであろう。そもそも神を表す鏡とか、剣とか、そうしたものがない。具体的なものに魂を託さない。託さなくても大丈夫なくらい、神が近かったのではなかろうか。社に置くものがそもそもない。それなのになぜ社を作ったのだろうか。こもる場所のなのか。
講演が終わると唄と三線で踊りが始まる。これが八重山流。三線がすごいと思ったら、なんと明日は那覇で舞台をされる方といわれた。踊りもなかなか本格的で、正々堂々としていて良いものだった。最後にはカチャーシーでみんなで踊って終わった。