石垣島自衛隊基地工事強行開始
石垣島では自衛隊のミサイル関連基地が計画されている。現在住民は住民投票の請求をしている最中である。今行われている市議会でもこのことを審議しようとしている。こうした状況の中、突然沖縄防衛局は突然工事に着工した。石垣島の中央にそびえる神域於茂登岳の麓をブルドーザで動かし始めた。こんな蛮行がありうるのだろうか。何故もう少し待てなかったのだろうか。信じがたい行為に怒りで震える。この地域はカンムリワシの営巣地である。子供にえさを与えるために、ネズミを咥えたンムリワシを確認したことがある。今驚かせば、巣から離れてしまう可能性もある。沖縄県はカンムリワシの営巣には配慮するように、防衛局に申し入れをしてくれている。まったく耳を貸さない。敵対するかのように返答すらない。この住民を軽視するやり方が、問題をとんでもない方向にゆがめてゆく。住民の中には自衛隊がいてくれた方が安心だという人もいる。中国に対し攻撃を控えさす効果があるという人もいる。その反面多くの人は基地ができれば、観光業にはよくないのではないか、あるいはより危険が増すという人もいる。
国の安全保障は確かに国の専権事項である。しかし、それを支える国民がいて初めて、成り立つのも国の安全保障である。十分な議論を行い、ことを進めるというのが当たり前の民主主義国である。アベ政権は全く民主主義無視のアベコベ政権である。待つということができない。民主主義はまだらっこしい手間暇かかるものなのだ。この手間暇を惜しめば、民主主義はないものになる。例えば、石垣島では、自衛隊基地の場所が悪いという意見が最大公約数的にあるようだ。自衛隊基地の是非以上に、場所を問題にする人が多い。それは於茂登岳が石垣市民の誇りであり、神聖な山という意識もあるのだろう。高い山があるおかげで、石垣島は豊かな島になった。於茂登岳から流れ下る水のおかげで、石垣の人は暮らしを支えられたという気持ちがある。だから、もう少し場所を変えるべきだというのは、保守派の自衛隊容認の人からも出ている。なぜそういうことを胸襟を開いて話し合わないのだろうか。私はその点ではミサイル迎撃の潜水艦を作ればいいと考えている。昔、西表島には軍の潜水艦基地があったそうだ。
石垣島では最近でも市庁舎を旧飛行場跡地に移転することが、十分な議論と住民投票の結果で決まった。市庁舎を今の場所で立て直してもらいたいという人もいる。今ある商店街の集中する地域を市庁舎が離れることで、賑わいが失われるのではないかという不安が言われる。市庁舎への来訪者で成り立っているお店も多数存在する。それでも議論が尽くされた。話し合いの結果なのであろう、現市庁舎の後には文化的な人の集う施設を作るということになったようだ。その以前には、白保にできた南島石垣空港の問題があった。石垣空港が予定された海には、世界でも注目されているサンゴの群落がある。これをを埋め立てて造るという計画が持ち上がった。これも住民参加の検討員会が作られ、十分に話し合われた結果、内陸部に移し建設された。住民参加の市政の良い事例として語り継がれている。移動したためにもちろん新たな問題もある。しかし、よいこともあり、悪いこともあり、それを天秤にかけるのが民主主義だ。
ところが、自衛隊基地はどうであろうか。住民請求で14万3000という署名で住民投票をやり、十分話し合いを持とうということが決まった。ところがそれを議会でまだ審議も最終的には決まらない中、強行な工事着工である。このやり方はいかにも自衛隊というものが、住民に対して敵対してくる姿にしか見えない。銃剣を持って航行するのが軍隊のやり方かと誤解が広がる。住民請求は大運動会と命名され行われた。若い人たちが住民請求の唄を作り、みんなで唄いながら実行した。新しい民主主義の芽生えを感じた。石垣島のすごさを感じたところだった。ところが、議員たちは十分な議論の展開もできない状況である。市長は国の専権事項を繰り返すばかりで、説明や話し合いを避けているようにしか見えない。そうでないならば、正面からなぜ石垣島にミサイル関連施設が必要かを、市長として話すべきではないだろうか。石垣島の人たちの論理的な性格からすると少し信じられない展開である。