石垣島の神聖感:やちむん館

   

 

 

 石垣島「やちむん館」白保の畑の中にある。白保のサンゴ礁の海岸線から内陸に300メートルほど入ったところにある。もともとは瀬戸物屋さんである。違うか、石垣だから陶器屋さん。ユーグレナモールにもお店がある。今は民芸品の体験館のような場所になっている。ここで小田原の菜の花の高橋さんの話が出た。小田原の人なら知っているか。良く知っているということで。やちむん館の作品展示が菜の花でも行われたそうだ。

 

 

やちむん館のある場所は畑の中の5000㎡ほどのこんもりした森になっている。不思議な空間になっている。森の精霊が宿っている。明るい異空間である。この明るい精神性が石垣の宝。なぜ沖縄に惹かれるかの答えがある。身体が浄化されるような場所である。座禅修業の場ではないのだけれど、瞑想の場所にはうってつけである。陽気の気がみなぎっている。木漏れ日である。光がまばゆいからこそ、陰としての闇の印象がないわけではない。もし、日本人というものがどういうものかと知りたいのであれば、この場所に立ってみるといい。そして、初めて日本列島にたどり着いた人のことに思いをはせてみることだ。この白保という場所は日本最古の人骨が大量に出土している。

 

 この場所は以前どこかの島の人たちが移住してきた場所と言われていた。7,8軒の家があったらしい。今は全くその痕跡がない。よその島から来た人たちは、そのうちどこかへ去った。この場所を今管理されている方の亡くなられたお父さんが手に入れたらしい。一気に痕跡が埋もれてゆくのが、冬のない亜熱帯の世界。石垣に多くの島から、出作りの場所になっていた。八重山の島の中では豊かに農業の営める石垣島。石垣島には様々な島から、それは台湾も含めて多くの人が渡り住み始める。そしてマラリヤには苦しんだそうだ。そういえば、蚊に刺されない体質になるための野草があり、それを食べるという話を聞いた。私は不思議に蚊に刺されない。食べ物のせいなのだろうか。

 

 岡本太郎の言うところの何もない場所の、神聖とはこういう場所のことだ。実に明るい場所である。神が降り立つ場所。現代人の失ったものが呼び覚まされる。神というものは他者ではないということが分かる。今見えている眼前の場は時空を超えている。そういう独特の場所があるということだ。幻想ではない。確かな場所だ。石垣には御嶽というものがある。御嶽には今はやしろや鳥居まであるが、そもそもは何もない場所である。社や鳥居ができて神聖が失われた。本来の御嶽は樹木のあるただの空き地である。祈るための空き地のような場所である。ご先祖とつながる場所であり、精霊とつながる場である。そうした精霊の場所は、守る人がいて作られることが可能だということが分かる。もし、神聖な世界というものを体験したい人はやちむん館に行ってみることだ。

 

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