緑内障と丸ごとみかん

   

現代農業の11月号に緑内障の記事を載せて貰った。11月号はもみ殻大活用でなかなか面白い企画になっている。

緑内障を発見したのは、日帰り人間ドックに行った時だ。全く自覚症状はなかった。思い当たることもない。深刻に落ち込んだ。人間ドックに行ったのは、65歳になって一度位は人間ドックも良いかと、計測好きからだ。そのことは前に書いた。病院嫌いは病気のレベルなので、医療も自給する生活を続けてきた。そこへ降って湧いたように緑内障がきた。平常眼圧の緑内障という事になる。暮らしの中に原因はあるのだろうが、たぶん遺伝的なものもある。小田原には全国から患者が来るような、有名眼科病院がある。そこに出かけた。先生「緑内障ですね。両眼ですね。直りません。失明まで進むこともあります。」一刀両断である。私「私絵を描くのです。見えなくなる訳に行かないのです。」先生「眼圧を下げる眼薬を毎日寝る前にしてください。」私すがりつくように「でも眼圧は高くないのですから、希望がないという事ですか。」先生「直ることはないです。現状維持ができるかもしれません。」これで診察は終わり。

それから、様々な情報を探した。そして眼に良いだろうという事はあれこれ試してみた。薬嫌いだから、眼に良いというサプリメント等、信じる気にはなれなかった。一塁の希望もない。これは辛いものだ。2ヵ月に1回病院に行く。その度に先生「変わりありませんか。」私「目が疲れるようです。」先生「3分の1は見えてないのですから、当然疲れますよ。」私「見えてはいます。」先生「見えていれば、御の字と思ってください。」こんな風に1年が過ぎ、2年が過ぎた。

ある時、温州ミカンの皮が緑内障に効果が。という記事を見つけた。東北大学の先生が、緑内障の進行を止める効果のある何かの物質を発見したというのである。藁をつかんだ。それから、丸ごとみかん生活である。皮ごとみかんをジューサーに入れて絞って飲んでしまうのだ。スムージー状態になる皮もかなり含まれる銃サーである。みかんがある間は毎日5個を絞って飲む。びっくりだがこれが結構おいしいのだ。

自然栽培でみかんを作っている。やっとこのことが生きた。皮まで食べるのであれば、さすがに購入したみかんという訳にはいかない。ずいぶんみかんを枯らして、自然栽培でみかんを枯らさない栽培法を見つけた。夏の間から、みかんの根元に、そばかすを大量に撒く。これを繰り返す。そして2本あるみかんの木の1本は青い内に実をとってしまう。これもジュースにする。あるいは絞って使う。みかんの木には隔年で実を成らす。一年ごとにおやすみをさせてあげる。こうすると消毒を全くしないでもみかんの木が枯れない。今、やっとみかんが色づき始め実っているのだが、この時期でも葉の緑色は他所よりも濃い。一年中他所より緑が濃い。元気いっぱいの様子である。

そして、1年が過ぎた時に視野検査をすると、何と左目は完全に見えるようになっていた。より悪い右目も、少し回復した感がある。私「先生、直ったではないですか。」先生「なるほど、前回の検査が失敗でしたね。」私「でも右眼もだいぶ視野が回復してきたようにも」先生「そうですね。視野検査に慣れてくるとこういうことも起こりますね。」緑内障は医学的には回復することはあり得ないという医学結果。こうなるとますます、丸ごとみかんである。丸ごとみかんは生きる希望である。さすがに緑内障が治ると思っているわけではない。エセ科学は大嫌いだ。直らないとしてもである。もしや、もしやの丸ごとみかんである。人間希望を失えば、元気を失う。元気を失えば、病気も悪化する。

わずかな希望という光が必要なのだ。その光を目指して、努力をする。丸ごとみかんなど陳腐だと言えば陳腐なことなのだろう。しかし、これは有機のみかん農家の希望になるかもしれない。皮を食べるのだから、農薬は嫌だろう。その上、皮ごと食べるからこそおいしいという事を発見したのだ。毎日みかん5個を食べて、体重がまったく変わらない。もう何十年も170㎝、54キロである。丸ごとみかんを信仰してから、みかん分だけカロリーは増えているはずだ。それはたぶん、これも多分で申し訳ないのだが、丸ごとみかんにある様々な薬効が体調を整えてくれているように思える。

どこかで、丸ごとみかんのスムージーの販売を始めてくれないものだろうか。

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