水彩人展の準備始まる
上島コーヒーから東京都美術館裏口が見える。
9月20日から水彩人展の準備が始まった。家にあるパソコンやコピー機を東京都美術館に、情報入力に持ち込むのが、まずは私の仕事となる。水彩人では出品票の情報は、すべてパソコンで打ち込んでいる。入力作業が担当なのだ。情報を間違いなく扱うためには、正確に情報をパソコンに入力しておくことが重要である。会の2名の方と、打ち込み担当の方を1名を外部にお願いしている。3台で切れ目なく入力してやっと間に合うという状況である。会にひとりとてもパソコンのシステムに詳しい方がいて、名前をカタカナでササムと入力すれば、私の住所などすぐに呼び出せるようになっている。一般の応募者も初めての方はすべて入力しなければならないが、過去に出していれば、新ためて名前や住所など打ち込まないでも出てくる。3人の入力作業で出品者の受付作業が終わると同時に入力の方も終わった。整理された情報に基づき、会の情報の伝達は格段に楽になった。写生会や様々な展覧会の案内なども正確に迅速に行う事ができるようになった。例えば展覧会に一度見えてくださった方に再度案内状を送ることも可能になっている。
またこのことは民主的な運営の為にはどうしても必要なことだと考えている。水彩人では2年ごとに代表や事務所は交代する。こんな仕組みの絵の会は他には聞いたことがないだろう。否が応でも交代で誰もが会の運営に当たる方が良いという考えである。得意苦手は関係がない。代表が偉いという訳ではないという仕組みを作る必要がある。誰にも引き継げるためには運営が分かりやすくなっていなければならない。ここまでに様々な準備がされてきている。たとえば、すでに同人、会員分は出品作品のキャプションまで印刷が終わっている。出品目録のコピーを事前に担当に送ってもらっているのだ。こういう会も他にはないだろう。この後、展示までに目録を作り印刷をするのも自分たちで行う。何しろ、水彩人の目録はすべて手描きである。一人が15枚ほど受け持ち、全員が水彩画を描くのだ。今年はこの絵を描くという事を、会場で行う事になった。手書きの良さというのもある。応募者への入選通知なども、手書きで行う方が丁寧であるし、間違いがないという主張がある。その思いも尊重され、目録の表紙は手書きに拘っている。これは200円で販売される。こうして、ここ4,5年の積み重ねで、かなり整理がついて来ている。
毎年の期待は良い絵が見れるかもしれないという事である。新しい人に出会えるかもしれないという気持ちだ。今年もあれという新しい人の絵が数人あった。これがあるから並べてみるのが楽しみである。そして心配は自分の絵がどのようなものかである。人の評価は気にならなくなったのだが、自分の眼はごまかせないものだ。絵を並べると自分にも見えてくることがわかる。絵を外の風に晒すことで、自分のものでなくなるような感覚である。ここが私絵画であっても大事だと思っている。私絵画を展示する意味はそこにあると思っている。そして今年もまた絵を語る会をやる予定である。何を描いたのか。自分の絵を言葉化してみる。そんなことは無意味だ。無意味どころか絵を描くには良くないことだという人の方が多数派である。つまり絵描きは黙って描く。言葉にできない重さを心で温め、溜めこむのだというような人たちである。つまり、自分を天才だと思いたい人たちではないだろうかと考えている。たしかに天才は一人で出来る。
現実普通の人である。そして、絵を語る会に参加してきた人の方が、絵が良くなっている。私は置いておくとしても、全体で見ると、絵というものは変わらないものだ。本人は努力しているつもりでも、進歩などほとんどないものだ。そうした中、絵を語る会の参加者の絵は良くなることが目立つのだ。絵を語るのは見て頂く人の為ではない。自分の為である。水彩人では批評会を行うことが会則で決められている。それは全員が参加することができる。同人の誰もの絵に対して、誰もが意見が言える状況がある。水彩人が研究会であるからだ。偉い先生がいて、その先生から教えて頂く会ではないのだ。その結果、水彩人は毎年良くなるよと言ってくれる人がいる。そう思いたいものだ。今年初めて出した人と、水彩人にかかわりの長い人が、同じになれる会。ここが難しいところだが、諦めてはいない。