9月の石垣島
9月12日朝6時
9月の石垣島は緑が濃い。濃いというか緑が黒い。強い緑色である。こんな黒みどりは初めて見る。この黒い緑を描いてみたいと思う。生命の色。命の湧き上がる色。この緑は石垣の赤い土から生まれたものだろう。石垣の緑は野生の緑を感じるのかもしれない。小田原の緑は作られた制御された緑である。緑化された緑。エネルギーの強さが違うように感じる。この違いが描いてみたい。緑に宿る命を描いてみたいということなのかもしれない。いつも描く場所に行ってみたが、ちょっと手が出ない感じだ。自分のエネルギーが押されている。元気でなければ絵は描けない。元気は十分なつもりだが、石垣島の元気はスサマジイものがある。西表島では到底絵にできない野生の色があると思えた。石垣島はもう少しおとなしい。人間のかかわる自然の原初の姿がある。
眼というものは不思議なもので、こういう緑の違いを見ている。眼は当たり前に、観念を含めた、すべてを見るということに集約させる。絵を描くということはこの観念を含めた緑を描きたい。だから、緑を描いているのにもかかわらず、赤で描かざる得ないというようなおかしなことさえ起こる。これを描こうとすると、描けているのか、描けていないのかさえ分からなくなる。しかし、ただ科学的に分析するように緑を描くことがたとえできたとしても、このエネルギーに満ちた緑を描いたという達成感がない。自分の中の眼が納得できる緑に迫りたい。これは焦りなのだろう。見えているものが絵に描けないという思いが、延々と続いている。見えているものが、描けないということは、描く力量がないのか。見えているという妄想なのか。9俵取れる田んぼは見えるのに、9俵取れる田んぼが描けない。眼は総合と分析を一瞬に行う。しかも自分の希望まで描こうとする。9俵の田んぼではなく10俵の田んぼを描こうとする。
風景に向かい、絵を描くとことができるのは、何も考えなくなるからだ。手がただ反応する機械なる。この機械は見えているに近づく機械だ。理由なく、次から次へと新しい手立てを見つけては試行錯誤する。下手な鉄砲もその内に当たることもある。突然、幸運なことにぶつかる。これを待ち続けるようなもの。確かに見つかったものは、目の前にある風景の何かではあるのだが、実際には目の前にある風景とは別の、新たな画面という世界が生まれたような時なのだ。そういう「絵ができた」という意識が本当のことなのかどうか。このあたりが怪しいところ。この絵を持ち帰り、アトリエで絵に向かい合うと、絵を描く方向が絵を作り出すという方向に傾く。目の前の風景の支配から抜け出し、記憶の中の生命の緑と向き合い描く。写しとるということから、作るということになる。制作することとなると、また意識が変わる。ここには過去の絵画というがんじがらめの巨大な壁が介在してくる。自分が考えてきた絵画世界が反映する。いわば絵はこうあるべきだ的な、絵というものの認識である。当然、過去の学習であり、自分である。これを超えようと制作しているのに、過去に引きずられ自己否定ができなくなる。
石垣島の緑の前に立つと、そうしたちまちました思いが、たちどころに消えてゆく。エネルギーの強さに従う心地よさ。エネルギーに理由はない。自分の方に強いエネルギーがあるのかだけが問題になる。絵を描くということはよほどの元気がなければできない。だから良い絵が描かれたのは、信じがたい老人の仕事である。エネルギーの尽きない老人が恐ろしい絵を描いている。私も死ぬまで少しづつでもよくなるような絵描きでありたい。今はまだまだたいしたことはないが、少しでも前に進めれば、まだ先はある。今回は、インドの水彩紙を使っている。この水彩紙は世界で一番厚みのあるものだろう。実に強い紙だ。紙というのは不思議なもので、やはり人間が作り出す作品である。だから和紙を日本的なものと考えることができる。インドの紙はインドの世界観が反映していると言える。描いていてそう感じる。哲学の国、瞑想の国、そして仏教の生まれた国。この石垣島の黒いみどりは子の紙でなければ描けないような気がしたのだが。