有機稲作の畔管理法
有機稲作の畔管理法
田んぼの畔の岩手ミドリ大豆
田んぼの畔は出来るだけきれいに草刈りをしておくというのが、普通の農家の意識である。畔に草が生えていれば、だらしがない家の田んぼだと見られてしまう。家の庭が草だらけであっても、畔に草を生やさないというのが農家の意識である。しかし、果たして畔に草がないことが、有機稲作としては問題があると考えている。最近、畑の有機農業ではバンカープランツという事が言われるようになった。野菜畑の周辺にグリンベルトのように、緑肥作物を緑肥として蒔く。このグリンベルトが、野菜畑の虫の害を防いでくれるという考えである。それは、有機農業では生き物の多様性が大切だという考えに基づく。生物の多様性が畑の環境を調整するという考え方である。多様な生き物が存在してこそ、畑の害になるような、害虫が特出することが抑えられるという考え方である。畑というものはどうしても、単純化する。トマトを作ればトマトだけの世界になる。畑の生き物調査をするとむしろ生きもの種類は大学構内よりも少ない状態というデーターが横浜大学にある。村の鎮守の森が一番多様性が保たれているという事である。山林であっても、杉檜の単純林であれば、畑と同じぐらいの生物の種類で、案外に生きもの種類は少ない世界になっている。
ここはある程度草を刈っている。通路から、大豆を観察をするためにはちょうど良い高さである。
耕作地であっても、有機農業を行うのであれば、多様性を大切にしなければならないという考えが広がってきた。このことは田んぼでも同じである。昔の田んぼでは水があるために、ある程度の生きものの多様性が保たれていた。しかし現代の大規模水田であれば、畔がコンクリート化され、さらに地中パイプ化されるようなことになり、秋田県での調査では大規模田んぼ地帯では生き物の数の激減が起きて居るそうだ。カエルも赤とんぼもいない水田地帯の出現である。農業があることで自然の多様性が保たれるどころか、農業が自然破壊の先端を行きかねない状況が農村地帯に生まれている。これが進めば、農業が自然環境の保全につながるとは一概には言えなくなる。自然環境と調和する美しい農村の価値を都市住民に理解してもらえるえなくなる。税金を投与せざる得ない日本農業の維持は不可能になる。
白クローバーの畔。冬の間はそれなりに繁茂していたが、9月の段階ではここらあたりだけ残っていた。
田んぼの畔は草がある方が良いという考え方である。もちろん冬場の田んぼでは畔も草に覆われていた方が良い。春になれば、レンゲや菜の花が咲き乱れるという事が、大切な美しい農村の景観を形作る。それは田んぼの畔も同様である。田んぼの畔にも緑肥は撒かれなければならない。畔は白クローバーが良いのではないかと考えている。つまり、畔は作業に差しさわりのない範囲で、草があった方がよいのではないか。クローバーのようなカバークロップを年間を通して再生できれば、イネで単純化してしまう田んぼ環境を畔の草でいくらか補う事が出来る可能性がある。畔のクローバであれば、コンパニオンプランツであり、カバークロップと考えた方がよいのかもしれない。畔にイネ科ではない植物があることは田んぼ全体の環境緩和になるのではないだろうか。
手前の田んぼが水が湧き、倒れてきた田んぼ。
さらに自給農業としてこの考えを進めると、畔での大豆栽培を考えなければならない。畔で大豆を作るという事は江戸時代から奨励されてきた農法である。良い田んぼになるという考えである。1反の田んぼがあり、その周辺に大豆を作れば、一つの家族の味噌醤油が確保できると言われた。大豆が安定して栽培できる。畔であれば、水がいつでもあり水を好む大豆としては絶好の場所である。しかも、畔の土は入れ替わるものだから、大豆の連作が可能になる。畔にイネ科ではない植物を栽培することで、多様性が維持されるかもしれない。自給的な田んぼであれば、1メートル以上の広い畔を作る。畔に高低差を付けて、水がある方がいい作物は低い畑。乾いた方がいい作物は高い畔としての畑を作る。田んぼの周囲が家庭菜園という形もあるのではないだろうか。