尾畠春夫さんの感謝
周防大島で行方不明の子供を発見した尾畠春夫さんの感謝は深い。お盆の日本全体がご先祖様へと同時に尾畑さんへ感謝をしている。こういう生き方で暮らしている人が同じ社会にいたという素晴らしさ。尾畑さんのテレビに映る姿を見て、思わず手を合わせて、涙した。最近日本の社会の行く末に悲観的になっているが、希望を持たなければと思い直す。尾畑さんは行方不明の子供を探しに行かなければと思った。あと1日待っても見つからないのであれば、出かけようと決意して、大分から駆け付けた。もう時間のない3日目の早朝20分間で子供を見つけてくれたのだ。家族には必ず自分が探すからと伝えて、捜索に入り、一直線で子供の所にたどり着いた。2歳の子供が、尾畑さんの声に「おじちゃん僕ここだよ。」と答えたという。まさに奇跡が生まれた瞬間であろう。尾畑さんの子供の命に対する純粋な思いが、尾畑さんの感性を解放し、子供の居所が降ってきたとしか思えない。
尾畑さんの生き方が磨き上げた尾畑さんの感性のすごすぎる世界ではないか。尾畑さんは修業に生きている。まさに修験道の行者である。65歳から、78歳の今日まで、千日回峰行を続けているのであろう。ご本人の意識としては、ボランティアに生きているという事のようだ。65歳まで魚屋さんをされていたという。後の人生は人の為に生きようとただひたすらに、困っている人に寄り添い生きている。連続的に起きる災害に駆けつけている。軽自動車で出かけて、シュラフで寝泊まりしながら、救援活動をされている。まさに情けは人の為ならずである。この純粋一途な生き方が、尾畑さんを磨き上げている。生き仏である。65歳ですべてを捨てることができた凄さである。孫を見つけてくれた尾畑さんに感謝を表現しようとした。雨の中探してくれた尾畑さんにお風呂でもと言われた。とんでもないと、頑なに断っていた。これが私の生き方ですのでと、差し出された傘を雨が好きですからと断った。
65歳で魚屋をやめる。私も養鶏業をやめた。この点ではたぶん私も近い思いがある。尾畑さんは人の為だけに生きようと考えたようだ。先ずは、自分が生まれたこの国を歩いてみようと日本を歩いて縦断したという。この歩くという事から、その後の生き方を見つけたのではないか。本当の意味の回峰行である。行者の方が自らの修験道に生きて、霊験を得る。行方不明の人がどこにいるかが分かる人の話というのは、時々ある。家出をした友人の件で、経験をしたことがある。家族の方が、京都のまったく状況を知らない行者の方にお告げを貰いに行ったら、なんと、私の家に来るからと告げたというのである。その通りに私の家に来たのである。私も行方不明になったと聞いた時から、私の家に来るだろうと、確信していた。そういう思いが充満していた。彼は惑いの時期を抜けて、現在活躍されている。人の為に生きる道を見つけた、尾畑さん。絵を描いてみようと考えた私。
ずいぶん立派さに違いがある訳だが、これが私の業のようなものであろう。私というだけでなく、笹村の家の業のようなものだと感じる。自分というものが異様に肥大化している。ただただ、この肥大化してゆく自分というものに向かい合うほかないという明らめである。そもそも15で得度して禅に生きてみようと思ったことがおかしいではないか。禅寺で生まれたことは確かだが、すでに寺を離れ、東京で暮らしていたのだ。自己の肥大化の表れであろう。自分の為に生きてみようと決めたわけだ。確かに人の為に生きてみようと考えた尾畑さんから較べて見れば、ずいぶんひどい奴に見える。世間的に見れば、その通りである。それでも人真似は出来ないと思う。自分の業を突き詰めれば、たどり着くところは意味ある世界があると思っている。私の描く絵が、尾畑さんの言われるところのボランティアになるかもしれない。こういう期待はある。子供の命を救えるような絵が描けるかどうかは分からないが。ゴッホの絵を見て命を救われた人は居る。ともかく78歳の尾畑さんまで、純粋に10年絵を描いてみようと思う。