有機農業市民塾にかんして
有機農業市民塾が小田原市久野のフラワーガーデンのそばの2反5畝の畑で行われている。加藤市長より「有機農業による家庭菜園」が提案され、今年度、有機の里づくり協議会で取り組むことが決まった。あしがら農の会が担当になり、世話人5名を含めて12名の参加によって、まず、本格稼働の為の予備的活動が始まり、半年近く経過した。7月になって、有機の里づくり協議会の取り組みが全面的に見直された。有機農業市民塾が今後も継続できるものか、出来ないものか判断しなければならない。現在、直接の世話人として参加している5名の受け止め方もそれぞれではないかと思う。また、本来であれば取り組みの中心になると決めたはずの、有機の里づくり協議会のかかわりが得られない状況にもなっている。また、事務局であるはずの市行政もかかわりが明確ではない。こういう状況の中で、来年以降どう取り組んでゆくのか検討する必要が迫っている。現状を考えてみると、昨年までの畑の会の拡大版の様な状況ではないのだろうか。参加者としては問題はないとおもう。これを小田原有機の里づくり協議会の事業として成立させるべきなのか、畑の会に戻る方がよいのかということになる。
小田原有機の里づくり協議会では参加している4つの団体が、一緒に何か事業に取り組むという事はなかった。各団体が受け持ちの事業をそれぞれに実施して行くという形だった。このために協議会として共同で力を発揮するという事がなかった。そのことを踏まえて、有機農業による家庭菜園は協議会全体で取り組むという事になったはずだった。ところが、そういう動きにはならなかった。参加団体の協議会の位置づけが、主体的なものではないからだろう。市民塾に参加することが負担という事なのではないだろうか。では単独で取り組んでいる農の会の立場というものはどう考えればいいのだろうか。市民塾の活動が小田原の市民参加の有機農業の活性化につながると考えている。理由は小田原では農業を成立させることが困難で、農業者を増加させることが不可能だからだ。農業は成立しないとしても、自給農は可能である。自給農に小田原の農地の保全を期待するほかないというのが、農の会の認識である。小田原に行けば、有機農業を学ぶ事が出来て、自給農が可能かもしれないと考える小田原への転居者が期待できる。そのなかから当然有機農業者が登場することも期待できる。あしがら農の会の歴史がそのことを証明していると思う。
農地を所有し、家も機械も倉庫も持っている地域の農業者の多くが農業の継続が難しいと考える、社会的状況がある。その中で、誰が農地の担い手になるかである。業として成立するのであれば、大きな資本を持つ企業が農業に参入するのであろう。しかし、小田原の農地の状況はとても企業的に大規模農家が取り組むようなまとまった場所は少ない。多くが条件不利の農地である。傾斜地であり、小さく分割されている。まさにここを逆手にとれるのが、自給農ではないだろうか。傾斜地だから景観が良い。小さいから自分の身の丈に合う。山もあり、川もあり、海もある。そして通勤しようと思えば、東京までも可能である。まさに小田原は自給農最適の地だ。それでも条件不利な場所では耕作放棄地が増加している。かろうじて耕作放棄地のこれ以上の増加を食い止めているのは、自給農ではないだろうか。
以上を踏まえて考えれば、農業者を増加させるだけでなく、市民的に農地の利用の幅を広げてゆく方策も小田原有機の里づくり協議会では考える必要があるのではないだろうか。その具体策が、有機農業市民塾ではないかと考えている。様々な歴史的背景を持つ4つの団体がかかわっているという事は、農業に対する考え方も農業技術も異なる。各団体が、同じ場所でそれぞれの農業を展開することで、学ぶ合うところが多いいはずだ。各団体に所属して、これから農業を試みようという若い人たちがこの市民塾に参加して耕作してみることは大きな体験になるはずだ。様々な農業とかかわることで、自分の将来の農業を考えてみることができるのではないか。またそういう市民塾にしなければならないのではないか。小田原有機の里づくり協議会の基盤になるような市民塾になると思うのだが。将来的に考えれば、果樹の授業、畑の授業、田んぼの授業とあり、希望のコースを選択して学ぶことができることが良いのではなかろうか。