石垣島での土地探し
石垣に越すにあたりどのように土地を探したのか書いておく。参考になる人もないとは言えない。実は最初は小田原で土地探しをした。車の運転ができる間は今の舟原場所で暮らせるが、それもあと10年くらいであろう。その後相当困ることになりそうである。それなら、動ける間に歩いて暮らせる場所に越したいと言われた。私は山北にいた時も、舟原に暮らす今も何とかなるだろうとしか思っていない。小田原の市内に移りたいというのもあまり理解できなかった。今いる場所では歩いて行ける場所では買い物は何一つできないというが、配達品だけで暮らせるぐらいにしか考えていた。どうしても引っ越すとなると、70前に引っ越しをしなければ、もう動くことが出来なくなる。小田原で適当なところを探したのだが、見つからない。今暮らしているところより大体つまらなくなる。つまらないところに行かなければならないのかと少し悲観的になった。今の舟原に不満がある訳ではないので、同じ小田原で土地探しは元気が湧いてこなかった。
養鶏をやめてから、行きたかった沖縄旅行を始めた。沖縄の文化に日本人の原点のようなものを想像していた。椰子の実の歌である。日本人の祖先が南の島にたどり着く姿。田んぼを始めてからいよいよ南の島の田んぼに興味が深くなっていた。最初は本島を歩いた。読谷村に部屋を借りた。時々行っては沖縄の空気を味わった。ところが沖縄本島と宮古島や八重山諸島とはまたずいぶん違うらしいという事を知った。そして、一つ一つ島を訊ねる旅行を始めた。それが今までに経験したこともない素晴らしいものだった。絵が描ける。畑や田んぼの絵が描ける。島には暮らしがあった。暮らしが生きている。だから畑も、田んぼも生き生きしている。工場のような畑ではなく、暮らしの庭の様な田畑があった。小浜島で見た神様の為の田んぼ。西表の自然に押し寄せられているような田んぼ。そして、石垣の冠鷲のいる田んぼ。貝殻の混じる田んぼの土に暮らしというものの味わいを感じた。その頃から、どこかの島に暮らしたいと思うようになっていた。島の田んぼを描きつくしたいと思った。
しかし、島に越したとしても歩いて暮らせなければ無理だ。となれば、石垣島の市街地以外にない。石垣島は沖縄でも一番素晴らしい場所だった。ここは大きな病院も近い。農協の市場で買い物もできる。歩ける範囲で暮らしに困ることがない。サウナのあるスポーツジムもある。ユーグレナモールでは、石垣らしい買い物を楽しめる。夜になれば民謡酒場で八重山民謡を聞くこともできる。桃林寺界隈の朝の散歩は何物にも代えがたい魅力がある。石垣市街地以上に良い場所はないだろうと思えてきた。丁度そのあたりに、マンションを改造したウイクリ―マンションがあった。ククルグランビューといったが今は無くなった。ここに行っては石垣の絵を描く暮らしを確かめた。なかなか良かった。これなら、死ぬまで暮らせそうだと思うようになった。小田原でやっていることに自分なりにけじめをつけるには時間がかかる。70歳になつて越すという目標を立てた。
石垣の不動産をネットでじっくりと眺めた。2,3か月かけて調べ上げた。調べては石垣に行って実際にその場を見た。最初はマンションが良いと思っていた。マンションを借りて、まずは小田原と行き来しながら、確かめてみればと思った。ところが適当なマンションが全くにない。本島で探した時とは大違いであった。本島では絵の描けるマンションがあった。石垣ではマンションはどちらかというと町から離れていた。海の眺めの良い場所にある。海が見たくて石垣に行くのではないので、街中を1年ぐらいあれこれ探した。適当なアパートも、マンションもない。少しがっかりした。そこで中古住宅を探した。ところがこれはほとんどない。たまにあっても、絵が描けるような家は全く見つからなかった。そして最終的には土地を購入してアトリエを立てる以外にないという結論になった。それから土地探しをした、土地はそれなりにあった。どちらかといえば土地も、リゾート地的なものが多かったが、市内にもあった。土地が見つかるとグーグルのストリートビュウ―で繰り返し見た。石垣市内の土地勘は出来ていたので、おおよその状況は分かった。そして桃林寺裏の今の場所が見つかる。