平和のための努力

   

平和的努力など現実的ではないという意見がむしろ世界での一般的意見であろう。だから、世界は武力競争に向う。そして日に日に世界終わりが近づいている。平和的努力を具体的に示してみろと書かれている。平和的努力の根本は、自分が平和的に生きることだと考えている。それが出来ないで、国と国の平和などあり得ないことだろう。だからどんな生き方が平和的な暮らしであるのかを実践しようとしてきたし、このブログでも書いてきた。平和的な暮らしの具体的な事例を示すのが私に示せることに過ぎない。武力で先制攻撃するような効果と、同列な効果を平和的努力に考えている人が多いいのだろう。援助をしたから平和的努力をしたなどと発想してしまう。それも一つであるが、心のこもらない支援など、むしろ逆効果であることは韓国の従軍慰安婦問題を考えれば一目瞭然である。平和は日本人全員が心より申し訳なかったという気持ちになれるかどうかにかかっている。

世界のに向けて、アメリカの価値による正義の主張がされてきたのが、トランプ以前のアメリカである。アメリカ自身も様々な矛盾を抱えながら、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、世界中の悲惨な戦争に首を突っ込んできた。それはそれでアメリカの正義が背景にあったのだ。世界の諸問題に対して、自由とか、民主主義とか、資本主義とか、世界共通の価値観を主張してきたつもりだったのだろう。そして、アメリカ自身もその反映を受けつづけた。その結果、難民移民の増大、国内の矛盾が増大して、豊かな国であるにもかかわらず、幸せから遠いい国にしか感じられなくなったのだろう。そして、アメリカファーストである。悪いのは後からやってきた人たちだという主張である。世界に向けた正義の跳ね返りとして受け入れざる得なかった様々な問題が押し寄せ、その豊かさを平等に享受しようとしている。こんなことは許せないという思いの爆発が起きた。正しい競争を踏まえていないという思いだろう。抑えられ調整されていた競争の正義が弱者排除に直接的に向う。

この流れはアメリカだけでなく、世界の潮流にもなり始めている。自分たちだけが良ければよいという事になり始めている。中国をはじめとする、新興諸国が欧米先進国を脅かし始めた。その中で、資本主義的競争で危うくなくなってきたのが日本である。一番でなければならないはずが、どの分野でも明確に一番にはなれなくなっている。自然エネルギーへの転換ではその挫折が明確になった。軍事力でもアメリカがいなくなれば、日本は中国の比ではない。アメリカの後ろ盾に縋りついているのが、日本の防衛計画である。武力主義はまさに競争主義の結末である。強ければ弱いものを言いなりにさせて構わないという世界。アメリカがアメリカファーストを選択するはずである。北朝鮮の核ミサイルがアメリカに届くとなって、もう日本どころではない。沖縄でどれだけ米軍ヘリコプター事故が起きても、日本政府の要請など全く耳に入らない状況である。アメリカファーストで必死な状況である。こうなってみれば、日本という国はアメリカの防波堤としての場所に過ぎない。沖縄が、日本本土の防波堤であるというアベ政権と同様の意識であろう。

日本国が本当の意味での独自の、防衛計画を持たなかった結果である。アメリカの武力の陰で、口先の平和外交を掲げてきたに過ぎない。本質的にはアメリカという世界最大の軍事力を自分の軍事力としたうえで、平和外交を一応は行ってきたのが日本である。日本が弱小国である間はそれでも通用したのであろうが、それなりの経済力を形成した現状では、アメリカの狐にしか見えない。これでは本質的な意味での平和外交など不可能なのだ。だから今までの平和的努力が実を結ぶことは少なかった。尖閣諸島問題を平和的に解決するためには、尖閣諸島を日中の課題であることを日本政府が認めるところからはじまる。それが平和的努力の具体的な外交の姿だ。その上で、中国との平和的な関係を模索すること。アメリカがいなくなれば、日本は中国と仲良くするしかないのだ。尖閣諸島問題解決の為に、国際裁判所の判断を仰ぐのも両国で合意できるように努力する。島の領有権など、きちっと解決できるのであれば、小さなことだ。領土問題など平和主義国家に何時までも残っていて良いはずもない。

 - Peace Cafe