防衛大綱の変更

   

防衛大綱というもので日本の防衛計画が決まっている。防衛大綱を読んでみると、日常生活の感覚が吹っ飛ぶような危機意識に満ちたものだ。この中期防衛大綱を、さらに危機感に満ちたものに今年変えるらしい。中期の防衛大綱があるなら、長期防衛大綱において、日本が武力を持たない国になっているという事には到底ならない。憲法に反して敵国攻撃能力を高めるというものになるのだろう。憲法では専守防衛と決められている。国際紛争の解決には武力を用いないと決められている。アベ政権も口先ではそのように述べている。にもかかわらず、アベ政権は日本の対する攻撃の恐れを把握したときには、敵基地を攻撃することは専守防衛の憲法を逸脱するものではないと解釈を広げている。そして、射程の900キロもあるミサイルの装備を検討する。そして空母を保有するという事も想定する。戦闘機も長距離ミサイルを装備できるものにしようという事らしい。具体的な武力の変更についてはまだ決まってはいないようだが、なし崩し的に大きな方向は、中国、北朝鮮を攻撃できる武力を持つという事になる。日米軍事同盟の変更に基づくものなのだろう。

アベ政権は実行の一年にすると新年の抱負で語っているから、まさに日本の安全保障体制を大きく変更する一年になるという事だ。米軍は臨戦態勢の訓練に入り、沖縄では事故を繰り返している。これも国民の選択であるとするなら、受け入れるしかないのだろうが、防衛大綱に関してきちっとした議論を聞いたことがない。わざわざ近隣諸国との対立を深め、憲法解釈を拡大出来る状況を作るのがアベ政権の手法だ。議論より、国民の不安感を醸成して、防衛大綱をずるずると変えている。誰が日本国憲法を読んで、近隣諸国への武力攻撃まで可能と読めるであろうか。近隣諸国が日本を攻撃する意図があるとするなら、北朝鮮が日本への攻撃の可能性があるとするのであれば、どれだけ平和的手段によってその問題を解決しようとするかである。現在行っているのは経済封鎖である。いわばみんなでシカトしようという事だ。こんなことだけで解決できるわけがない。それがどれほど難しいものであるとしても、国民に見えるように、糸口を見つける平和外交を行ってもらいたい。河野外相の役割であろう。

平和外交など、さんざんやったし、無駄なことだったというのが、保守主義者の主張のようだ。平和外交は永遠のものである。終わりなどある訳もない。可能性のあるあらゆる角度からの平和へのアプローチが必要だ。例えば、韓国は不可逆的約束と政府間で取り決めたものを覆した。確かに誰だって腹は立つ。お隣の国との約束が成立できないのだ。未来志向と言いながら、過去の清算の為に約束したことでも、正義が存在するかのように破ることになる。これでは交渉など不可能に見える。それでも平和の為に、交渉を続ける必要がある。耐えて、耐えて、粘り強く付き合うしか平和外交などない。日本がとことんこの平和主義の姿勢を貫くことで、世界には理解者が現れるはずである。その当たり前を当たり前に受け止めてくれる人たちに、期待することだ。日本が韓国の不当行為に、剥きになって反応してしまう事は、何ら良きことにはならない。こらえて、耐えて、仲良くなる道を探るしかない。

韓国にも人間が暮らしている。中国にも人間が暮らしている。北朝鮮だって同じだ。人間というものでかかわれば、仲良くなることができる。国家という事になった途端に、核ミサイルだという事になる。日本が武力を強めることは、当然近隣諸国も武力を強める。中国、北朝鮮、ロシアが核武装しているとなれば、日本はアメリカの言いなりにならざる得ないのか。そんなことはない。アメリカは自国主義に変わろうとしている。民主主義、自由主義、は本来自由民主党の建前だったことがあった。こうした世界基準の正義が失われつつつある。日本国憲法だけが、世界に強まる武力主義の歯止めではないか。日本へ攻撃すれば自分が損であるというような関係を作る必要がある。中国の利益に、北朝鮮の利益になるような国。競争をして追い落とすのではなく、協調して共に利益を生み出せるような関係を模索することが日本の防衛計画ではないか。

 - Peace Cafe