2018年味噌づくり
朝5時味噌の釜に火をつける。
2018年の味噌づくりはを1月28日に行った。滞りなく無事終わった。3時には片付けも終わりみんな帰った。楽しい時間は必ず終わる。祭りの後の寂しさが広がる。生きていてこういう良い時間が持てるという幸せは、幸運としか言いようがない。誰一人意図したわけでもなく、誰かが、神様のようなものが与えてくれたもののように思える。みんなの思いの集合という事なのだろう。みんなが周りの人の為にという思いをここに寄せて、集める。それが素晴らしい時間を演出する。この味噌づくりの一日は最高の演劇のようなものだ。しかもこの演劇は、一人一人の物である。誰もが主役であり、誰もが観客でもある。やれる人がやるという心に満たされていた。しかも今年は、多くの若い人たちが初めて参加した。必ず、この農の会の心は引き継がれてゆくことになる。そいう事が確信できる一日でもあった。小さな子供たちだけでも、8人いた。これが、お金では買えない幸せであり。こういう世界を目指すという事である。競争主義者には理解できない世界だろう。
前日の準備が終わったところ。
今年は前日の準備も大勢が来て行った。巨釜を移す作業が大変だったのが嘘のようだ。若い人が沢山いてくれたので難なく運ぶことができた。麹の仕込みは1週間前の1月21日だった。この日も寒い日だった。小田原に越して来てこれほどの寒い冬は初めてのことだった。平成に入り一番の寒さが続いている。麹の仕込みもまず凍ってしまった、水道をお湯を沸かして溶かすところからだ。井戸から直接の水は出るので、そこから水を汲んできて沸かした。味噌づくりの日も水道管は十分に保温しておいたが凍り付いていた。朝5時しんしんと凍り付い空気が、最高潮である。実は昨晩からあまり眠れなかった。こういうことはめったにないのだが、まるで遠足の前日の小学生。それでついつい、朝一番に火を付けに行くことになった。なんと水を張り、大豆を浸してあった巨釜のなかに氷が張っていた。こういうことは初めてのことだ。こんなことは、その結果、どうも大豆の浸しが不足した感じがした。来年は寒さが予測されたら、一度火を入れて少し浸し水を温めて置きたい。
大豆は5時から6時間半煮て、11時過ぎに配り始めた。それから、足で踏んで潰す。この足でみんなで踏んで潰すところが良いと思っている。機械小屋には大型のミンチの機械があるのだから、それでやればすぐ終わるのだが。あれこれ話しながら、味噌を仕込むのに1時間。一時間かかる。少し疲れるくらいの作業になる。たぶん機械を使っても一時間だろう。それぞれが踏んでも1時間。同じ時間なら、手作業の方が良いに決まっている。機械の方が良いと思う人は、こんな味噌づくりには参加しないだろう。私はいつも雑に踏んで終わりにしてしまう。粒がある味噌が好きなのだ。たぶん子供のころのお寺の味噌汁が、豆だらけだったからだ。豆が出てくると嬉しくなったものだ。自分の好きな潰し方にするなどという事は、機械ではできない。
今年は、料理の会の諏訪間さんが味噌汁作りで参加してくれた。過去最高の味噌汁になった。みんなの持ち寄りの野菜を太田さんが切ってきてくれた。野菜の甘さが際立っていて、驚くべき美味しさの調和になった。かつお節を一品持ち寄りで持ってきてくれた人がいるという偶然。一品持ち寄りは食べきれないほどの量だった。私は納豆麹を持って行った。それなりの味だったのではなかろうか。美味しいと言ってくれる人もいた。今年は全体では40人くらいになったのではなかろうか。小宮さんのブルーベリーガーデンでやっていたころのようだった。久しぶりの人もいた。初めての人も3分の1以上ではなかったか。これでうまく回るというところが農の会。今度は大豆を作る所にも多くの人に参加してもらいたい。