里地里山のコーディネートによる打ち合わせ会
この文章は書いて良いことはないと思いながら、やはり書いた方が良いと決意して書く。3月22日に「美しい久野里地里山協議会」の集まりがあった。神奈川県の方から開催の案内が3月15日メールで突然入った。これは総会で断ったはずのコーディネートが見える話だった。総会の時コーディネートの方に来てもらったとしても、なんの参考にもならないので、お金の無駄になるからやらないことになったはずだ。なぜ急にやることになったのかいぶかしく思いながら、出掛けた。多分どこでもコーディネーターなど依頼がなく、予算消化であろう。やっぱり何のための集まりなのか、分らないものだった。大勢の人を集めて、時間をつぶして本当にもったいないことだ。こうした無駄な打ち合わせ会の開催に参加しなければならないこと自体が、補助金事業の問題点だ。久野の里地里山協議会ではコーディネートなど必要としていない。会の関係者にコーディネートを頼みたいといったが、ダメだった。コーディネーターは県が依頼するいつもの人で、県とどういう関係なのだろう。失礼なことだが参考になったことなどない人だ。
案の定何んにもならない集まりだった。県では里地里山のシンポジュームとか、年に何度か大集会を開催する。それにも動員がかかる。基本的に行かないことにしているのだが、どうしても行く人がいないので行ってくれと言われて何度か出たことはある。何のためのシンポジュームなのか目的が分からなかった。そもそもの始まりの頃の里地里山事業は、神奈川県の方から呼びかけがあり、動き出したものだ。久野でも参加してもらいたいのでと募集がかかった。そのころの県の説明していた趣旨と今では大きく違ってきていると思う。昨日のコーディネーターの解説では神奈川県の農地課が行う耕作放棄地対策なのだという事だった。もしそれが本当のことなら、最初の頃の説明とは全く違ってきたと言わざる得ない。それならそれで、総会の時にそういう趣旨を県の担当者は何故説明をしないのだろう。河畔林の整備とか、登山道の整備など、趣旨が違うという事をはっきりと説明すべきだ。
私のかかわるの活動は溜池の保全である。溜池を農業遺構として保全すべきと考えている。県は溜池は農地ではないと説明していた。何か馬鹿馬鹿しくなった。その位置づけは確かに曖昧である。小田原市はこの溜池を保全するほどのものとは考えていないのかもしれない。ここを煮詰めない限り、これ以上溜池の保全は出来ないのかもしれない。江戸初期にできた溜池は小田原の農業の原点を記録する大切なものだと私は考えている。400年前あしがら平野では、新田開発が進んだようだ。どのような暮らしがあったのか。今、刻々農業そのものが失われている。沖縄のように、小田原に田んぼが無くなる日も想像しなくてはならない。その時に日本人としての小田原の暮らしの原点を失う事になる。せめて、ご先祖たちがこの地に田圃を切り開いた時代のことを想像できるものを残すことは重要だ。小田原城以上に重要である。坊所から、欠ノ上への水道トンネル。舟原の溜池。そして水路。こうしたものを一体として残すことを必要と考えるかどうかである。
昨日の打ち合わせ会でも、県の方から里地里山事業の主目的については説明がなかった。そして、溜池の保全は活動計画にないし、また、この事業の目的から外れているように話していた。活動計画書というものを久野の会から出されているが、そこにない活動はないことになっているというのだ。これには驚いた。それなら、総会の席でそのことを何故指導しなかったのか。活動計画に入れてくださいと一言言えばいいではないか。それこそ行政の役割である。その席では何も発言せず、今になって、活動計画にない活動などと言われても困る。こんな言い訳じみた発言は市民活動に水を差すだけだろう。県が行うべき活動。市が行うべき活動。そして久野の住民が取り組む活動。きちっと整理すべきだ。行政は補助金を出し、後は遠巻きに監督していればいいと言うのではない。補助金など要らない。一緒になって里地里山を守ろうという気持ちが感じられない。もうやめだという気にさせられた。腹が立って眠れなかった。