カジノ法成立か

   

カジノ法案がいよいよ成立しそうである。嫌な時代になったものだ。金もうけを卑しいものとして、抑制する倫理の歯止めを失っている。宗教団体であるはずの創価学会はこの事態をどう考えているのだろうか。現世利益というから、賭博は容認なのか。この姿こそ、現代の独裁の実態を表している。カジノ法案に関する世論調査では、反対が賛成を上回っている。賛否の微妙な法案を委員会での審議は5時間半だけである。議論したところで同じだから、ともかく数に任せて強引に進めようということだろう。これが独裁と言えるような民主主義の実態である。こうして不満は書かずにおれないが、政治に関してはもうあきらめ始めている。諦めてはいけないのだろうが、公明党だけではない、民進党でも、カジノ法案推進議員連盟がある。前原氏が中心メンバーである。アベ政治はこれからはカジノ政治と言わなければならないのだろうか。お金になれば何でもやるという金儲け政治なのだ。いったい瑞穂の国美しい日本は金もうけだけの国になり、どこへ行くのだろうか。

賭博は影の行為であってほしい。ある意味人間の本性である。守らなければ行けない一線は、政府がかかわるようなことではないということだ。賭博を表ざたにしてはいけない。賭博行為は後ろめたさの中にあるからこそ良いのではないか。資本主義は株式投資という賭博を、善としている。不労所得である。今でも、公営競馬で財政が支えられている。小田原市でも公営競輪をやめられない。加藤市長は競輪廃止を立候補前は主張していた。昔のことは忘れたようだ。こうした現実に押し流される小田原市政を恥ずかしいことと感じている。私の中には小田原のために何かしたいというような気持ちは、ほとんどなくなった。スポーツ選手が金儲けのために頑張る社会が肯定される社会。日本の旧来からの武道の精神から考えてみると、はるか遠いいものになった。報奨金で選手の頑張りを引き出さなければならない世の中を、よい世の中とは思わない。

小田原は神奈川県で一番、学校のトイレの洋式化が遅れていると、テレビで報道していた。担当の職員がれレビで説明していたが、理由は予算がないからだそうだ。洋式トイレがないことを恥ずかしいとも思わない。我慢はどこの家庭にもある普通のことだ。お金がないのであれば、それで仕方がない範囲のことだ。ごみの有料化をして、競輪をやめろ。ごみの有料化をすれば、批判を受けることもあるだろう。ごみを減らすためには、有料化しかない。ごみ検討委員会の提案は読んだのだろうか。そういう嫌われることもするのが政治の正義の方角だ。自民党議員がカジノ賛成であるのはわかる。そういう体質の人たちの集まりだと思う。権力志向の強い人は金もうけや、賭博好きが多いい。賭博体質に近い人たちだと思う。ところが野党である、民進党の中に前原氏のような賭博奨励人間がいるということが、今の日本の最悪の姿を示している。野党の立ち位置が分かっていないのなら、自民党に鞍替えすればいいのだ。

アベ政治の耐えられなさは、経済効果優先の先にある理念がないことだ。だから賭博解禁ということになる。カジノ法案はTPP以上に納得いかない。そのうち経済効果のない自給自足人間は、社会から排除されることになりかねない予兆を感じる。政治は正道でなければならない。正しい方角を示すのが政治である。その政治がこの時代に、カジノも悪いものではないという方角を示すことは、何を意味することになるか。この点を国会で議論すべきだ。子供たちにどういう影響を与えることになるか。今は、小田原競輪に行くということに、わずかかもしれないが、悪所通いの印象がある。これを変えてはならない。良い子は賭博をしない。賭博はよいことではない。不良所得を望む生き方は正道ではない。これだけは忘れてはならない。百姓仕事は地道な正道だ。

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